明暦野田本「松尾」
20-990 松尾
{次第}《四方の山風閑かにて。〃。梢の秋ぞ久しき》
{ワキ詞}〽︎抑是は当今に仕へ奉る臣下なり。扨も西山松の尾の明神は。霊神にて御座候へども。朝に隙なき身なれば。いまだ参詣申さず候間。此度君の御暇を申。ただ今松尾の明神に参詣仕候。
{道行}《嵯峨の山御幸絶にし,せり川の。〃。千世の古道跡ふりて。行方た〃しき,あま雲の大井の入江霧こめて。上はあらしの山風の。声も,かよひて松の尾の。神の宮居に着にけり〃》
{一声シテツレ}〽︎《秋かぜの。声吹そへて松の尾の。神さび,わたる。気色哉》
{サシ}《有難や和光同塵のいがきの内には。年を,むかへて般若の,しんもんを,かうじ、また利生方便の社の前にて。日を逐て,にょざいの,れいでんを,あふぐ。神明の納受疑ひなく。摂取の願望をの〃成就円満の霊地。今にはじめぬ神拝なれ共。誠に貴き。社内,哉》
{下歌}《時しも今は長月の紅葉も四方の気色にて。上歌〽︎春見しは花の都の雲霞。〃。立つや日数も移り来て。今ぞ時なる秋の空曇らぬ月の都路に。ゆき〃も繁る諸人の。秋ゆたかなる心かな〃》
{ワキ詞}〽︎如何に是成老人に尋ぬべき事の候。
{シテ詞}〽︎老人とは此方の事にて候ふか。先御姿を見奉れば。此あたりにては見なれ申さぬ御事なり。都より御参詣にて御座候か。
{ワキ}〽︎実よく御覧じて候物かな。都より始て当社参詣の者なり。山の姿かむたちの,おもしろさに詠居て候。当社の御謂物語候へ。
{シテ}〽︎さん候此山林は。皆神の御敷地なり。誠に御代千秋の君が,すむ。都は,ま近き神前にて。
{ワキカ〃ル}〽︎《むかふ梅津の秋のは〃。河水に,うかぶ,あや錦》
{シテ詞}〽︎織かく雲も小倉山。しぐる〃頃の朝な〃。
{ワキカ〃ル}〽︎《昨日は薄きもみぢ葉の》
{シテ}〽︎《けふはこそめの色ふかき》
{ワキ}〽︎《西くれないの峯つ〃き》
{シテ}〽︎《さながら四方の》
{ワキ}〽︎《にしきなれども》
{上同}《松の尾の山の,こずゑの秋ならで。〃。唯時雨のみ年ふるや。霜の後。雪の冬木になる迄も。時しらぬ常磐木の。幾久し神松の。おちばばかりは塵の世に。まじはる誓たのもしや。〃。》
{クリ地}《夫天は陽を以て徳とし。地は陰を,もって用とす》
{サシ}〽︎《然れば神は人天百王の守護神として》
{詞} 《本地寂光の都を出給ひ。この閻浮提に示現し。ごすいの睡を無上正覚の月に,さまし》
{シテ}〽︎《国土豊に民あつかれと》
{詞}《安全を守りおはします》
{クセ}《和光同塵は。結縁の御はじめ。八相成道は利物の終りをみする御ちかひ実目前にあらたなり。仏は又常住。不滅の相を,あらはし有無中道をはなれて。人を済度の方便,是以ておなじ悲願なり。神といひ仏といひ唯是。水波の隔にて。本地垂迹とあらはれ三世了達の智恵を,もって。現当二世界までの道を,てらし給へり。さればにや此社。いづくともいひながら。ことに所も九重の。雲井の西の山の,はを。てらすや光も夕月の。空さへて,あらし山の。峯には実相の声満て。聞法の便のみ。大井の波の音迄も。常楽我浄の結縁をなす心なり。》〽︎《梅津かつらの色〃に、日も,あかねさす紫野。北野平野や賀茂貴船。祇園林の秋の風稲荷の山の紅葉ばの。青かりし,めぐみも様〃に。誓の色はかはれども。此神は分て世の月常住の地をしめ王城を守る神徳の。久しき国に跡垂て。慈尊三会の暁をまつの尾の神垣かはらぬ色ぞ久しき。》
{上ロンギ地}〽︎実や誓の秋久に。〃。代〃を守りの御神徳。猶行すゑぞ頼もしき》
{シテ}〽︎《時しも,けふの御神拝。有難しとも,ゆふしての。神の夜かぐら面〃に神をす〃しめ申さむ》
{上地}〽︎《扨は時しも夜神楽の声も,あまねき数〃に》
{シテ}〽︎《すはや照そふ夕月の》
{上地}〽︎《庭燎の光か》
{シテ}〽︎《榊葉を》
{上詞}《うたふ乙女の,そではへて。花の,もすそも色〃に。紅葉をかざし松の尾の神の告を都人夜神楽をおがみ給へとよ。〃。》
{ワキ上歌}〽︎《実に今とても神の代の。〃。誓ひは,つきぬしるしとて。神と君との御めぐみ誠なりけり有がたや〃。》
{後シテ上}〽︎《夫千秋の松が,えには。万歳の,みどり常磐には。御代を守りの御影山。君安全に民栄へ。五日の風も枝を,ならさぬ松の尾の神とは我事也》
{上地}〽︎《八乙女の。袖もかざしの玉鬘》
{シテ}〽︎《懸てぞ祈る玉松の》
{上同}《光りもちるや露も,しらぬひの鈴も颯颯の。舞の袂は、面白や》
{上ロンギ地}《秋の夜神楽声澄て。〃。神さび渡る深更の,あけの光りは有難や》
{シテ上}〽︎《庭火の影も明らけき。榊葉うたふ,めうもんの。こや松の尾の神風更行秋ぞ惜まる〃》
{上地}〽︎《実おしむべし〃。こよひの時も,あひにあふ》
{シテ上}〽︎《月の光りも照そふや》
{地}〽︎《あけの玉垣》
{シテ}《玉の戸びら》
{詞}《さし引そでの露かけて。光りも,ちるなり小忌衣。立まふ花も白妙の。雪をめぐらし,ちはやふる。神ぞ久しき松の尾の。をのづから長き夜の神楽ぞめでたかりける〃》