明暦野田本「土蜘」

19-971 土蜘

{女次第}《浮立る雲の行衛をや。〃。風のこ〃地を尋む》
{サシ}《是は頼光の御所に仕へ申小蝶と申女にてさぶらふ扨も頼光例ならず悩ませ給により。典薬寮より御薬を持。唯今頼光の御所に参り候。如何に誰か御入候。
{太刀持}〽︎誰にて御座候ぞ。
{女}〽︎典薬頭より御薬を持て。小蝶が参りたる由御申候へ。〽︎心得申候。御機嫌を以て申上げうずるにて候。
{頼光サシ}〽︎爰に,きえかしこに,むすぶ水のあはの。うき世に廻る身にこそ有けれ。実や人しれぬ。心は,おもき,さよ衣の。恨みむかたもなき袖を。かたしきわぶる,おもひかな》
{太刀持}〽︎いかに申候。典薬寮より御薬を持て小蝶の参られて候。
{ライ}〽︎此方へ来れと申候へ。〽︎畏て候。こなたへ御参り候へ。
{女}〽︎典薬寮より御薬を持て参りて候。御心地は何と御入り候ぞ。
{ライ}〽︎昨日よりも心も,よはり身も,くるしみて。さらに期を待ばかりなり
{母上カ〃ル}〽︎《いや〃それは,くるしからず。病ふは苦しき習ひながら。療治によりて,なをる事の。例も多き世中に》
{ライ}〽︎《思ひも,すてず様ざまの。》
{上同}《色を尽して夜昼の。〃。境も,しらぬ有様の。時の,うつるをも。覚えぬほどの心かな。実や心を,てんぜず其ま〃に思ひ,しづむ身の。胸を,くるしむる心となるぞ悲しき》
{シテ一セイ}〽︎《月清き夜半とも,みえず雲霧の。か〃れば曇る。心かな。》
{詞}如何に頼光。御心,地は,なにと御座候ぞ
{頼光}〽︎《不思議やな誰,共しらぬそうぎやうの。深更に及んで我を,とふ。其名をなのれ覚束な》
{シテ詞}〽︎愚の仰候ふや。悩み給ふも,わがせこが。くべき宵なりさ〃がにの。
{ライ}〽︎《蜘の振舞かねてより。しらぬといふに猶近づく。姿は蜘蛛のごとくなるが。》
{シテ詞}かくるや千筋の糸筋に。
{ライ}〽︎《五体をつ〃め》
{シテ}〽︎《身を苦しむる》
{上同}《化生と,みるよりも。〃。枕に有し膝丸を。抜ひらき丁と,きれば。そむくる所をつ〃けざまに。あしもためず。薙ふせつ〃。えたりやおうとの〃しる声に。かたちはきえて失せにけり。〃。》
{ワキ詞}〽︎御声の高く聞え候程に馳せ参じて候。何と申たる御事にて候ぞ。
{ライ詞}〽︎実〃早く来りたり近う来り候へ語つて聞せ候べし。
{物語}偖も今夜夜半ばかりの比。誰,共しらぬそうぎやうの来り。我心,地を,とふ。何者成ぞと尋しに。我せこが,くべき宵也さ〃がにの。蜘蛛の振舞かねてしるしもといふ古哥を,つらね。則ち七尺ばかりの蜘のかたちの化生となり。我に千筋の糸を繰かけしを。枕に有し膝丸にて切ふせつるが。化生の者とてかき,けす様に成しなり。是と申に偏に剣の奇特と思へば。けふより膝丸を蜘切と名付べし。なんぼう奇特成事にてはなきか。
{ワキ}〽︎言語道断。今に,はじめぬ君の御威光剣の奇特。かた〃目出度御事にて候。又太刀つけの迹を見候へば。けしからず血の流れて候。彼血をたんだへ。化生の者を退治仕らふずるにて候。
{ワキ二人}〽︎《白波の。音更へるあらそひに猶作りそふ。ときの声》
{ヒトリ}〽︎《其時独武者彼塚にむかひ。大音上て云やう。是はをとにも聞つらん。頼光の御内に其名を得たる独武者。いかなる天魔鬼神なりとも。みやうこんを,たたん此塚を》
{詞}《くづせや,くづせ人〃と。よばはり,さけぶ其声に。力をえたる。計なり。》
{上同}《下知に従ふ武士の。〃。塚を,くづし石をかへせば。塚の,うちより火焔を放ち。水を出すといへども。大勢くづすや古塚の。あやしき岩間の陰よりも。鬼神の,かたちは。顕れたり》
{シテ上}〽︎《汝しらずや我むかし。かづらき山に年をふる。土蜘の精魂なり。猶君が代に障をなさんと。頼光に近付奉るに。却て命を,たたんとや》
{ワキ上}〽︎《其時独武者進み出で。〃て。汝王地に住ながら。君を悩ます其天罰の。剣にあたつて。なやむのみかは。みやうこんを,たたんと。手に手をとり,くみ懸りければ。蜘蛛の精霊千筋の糸を繰ためて。なげかけ〃しらいとの。手足にまとわれ五体をつ〃めて。たをれ臥てぞ見えたりける》
{ワキ下}〽︎《然とはいへども。〃神国王地の恵を頼み。彼土蜘蛛を中に取こめ大勢乱れ。か〃りければ。剣の光りに。すこし恐る〃気色を便りに切ふせ〃土蜘の。首うち,おとし悦び,いさみ。都へとて社帰りけれ》