四百番本「空也」

09-4　空也

{次第｝《捨て中々塵の世の。〃まじはるやうき身なるらん　
{サシ｝是は延喜第二の御子。空也と申聖なり。我十善万乗のせいしゆとして。玉楼金殿に身をまじへ。百官にいねうせらるべき身なれども。つら〃うゐ無情の有さまを観ずるに。夢まぼろしの浮世をすて。西方極楽へ参らんとならでは他事もなし　
{下哥｝唯いつとなき我心。西のかけひの水の音。とく〃むかへとり給へ〃　
{上哥｝無常の嵐吹くれば。〃梢の花も庭にちる木の下草のつゆ迄も。もらさゝ゛りけるちかひ哉〃》。
{詞｝是は長門国赤間の関とかや申候。しばらく此所にして。念仏をもひろめばやと思ひ候　
{シテ一セイ｝〽《秋来ぬと目にはさやかに見えね共。風こそそよと聞えけれ　
{サシ｝〽さうは道とをしのぞみを万里の外にかけ。きんかさいこみなぎる。まなこを三千界のうちにさらし。ぐしがねやの内には灯をくらふするなんだをもよほす。うらめしかりける。世の中かな　
{下哥｝くらきよりくらき道にそ入にける　
{上哥｝はるかにてらせ山のはの。〃。月のかつらの花盛。光りはよそにや散ぬらん。身の闇ははれもせず。実はれまじ や本よりも。とこやみのうきすまゐいへひんにしてはしんち（親知）すくなく。いやしき身には故人うとし。たゞ世を何とうらむべき〃》　
{シテ詞｝〽いかに聞候か。是は長門の国赤間が関と申所にて有げに候。又此所に貴き上人の御座候て。念仏を御ひろめ候よし申候ぞ。かの御前へ参り候て。念仏を聴聞申さふずるぞ　
{ツレ男詞｝〽承候此方へ御入候へ　
{ワキ｝〽いかにあれ成はまうもくの者にて有か。あらふびんやちかう参りて聴聞し候へ　
{シテ｝〽畏て候。扨かやうに仰候はいかなる人にて御座候ぞ〽是は空也上人とて念仏の行者にて有よ。〽扨は有難や天下にかくれましまさぬ空也上人に。只今対面申事の有難さよ。や。荒何共なや。我等はまうもくの身なれば。御姿を拝事叶はず。唯御聲を承るのみ也但。
{カヽル｝《極重悪人無他方便。唯称弥陀。得生極楽と承り候へば。たゝ゛称名こそ肝要なれ。をしへの御聲高らかに。御十念を給り候へ》〽実々汝が申ごとく。むちまうあくをも捨給はねば。今更みづからまよふぞと
{上カヽル｝〽《しるこそ頼む心なれと。たな心をあはせ礼すれば　〽をしへのまゝに数わかぬ　〽十聲一こゑ　〽南無阿弥陀仏〃　
{同｝聲の内なる極楽を。〃遠しと誰かおもふ覧。にん〃さうぞくする人は。念々ごとに往生す。さんしんのしなとても。称名の内をはなれず。たゞよしあしをはからずして。行往坐臥なれや南無阿弥陀仏弥陀如来》
{ワキ詞｝〽いかにあれなる者此方へ来り候へ。あのまうもくの者は。おことが為には何にてあるぞ　〽さん候兄にて候　〽実々兄にてなくば何しにか様にははごくむべき。返々も不便にこそ候へ。国は何所の者ぞ。　〽石見国　〽やあ〃何事を申ぞ　〽名字をかくすよなあふ実々理り。尋てもむやくちかうよつて念仏聴聞し候へ　
{シテ｝〽いかに上人に申べき事の候　〽何事にて有ぞ〽他念を捨一向に念仏せば往生はうたがひ有まじく候よなふ　〽あふよく心得候物哉。只何事をもふり捨て一向に念仏せよとよ　〽他念を捨て一向に念仏せば。往生はうたがひ有まじけれども。自然親のかたきなど持たらん者。かたきは猛勢にて近付べきたよりなくて。一生いたづらに過行ば。定て其まゝまうねんは残るべし。残らばやはか一心不乱のをしへのまゝに。彼国へは生れ候べき〽ふしぎの事を申物かな。そもかたきは何事ぞ　〽いや是はたゞよの物語にて候　〽いやはや色にあらはれたるぞや。あらむさうのものや。まうもくこつがひ人とこそならめ。結句夫に親のかたきを持。あはれうたばや〃と思ふ心にけばくせられて。永くうかぶ世の有まじき事の不便さよ。いかに此世にてかり成かたきをたすけ。ながき世のてきをうてとよう　〽此世にてかりなるかたきをたすけ。ながき世の敵をうてとは宣へども。さらに心得ず候。　〽実々心得ぬは理り也。いで〃語てきかせふよく〃聞候へ　
{物語｝抑此人界に生をうる事は。無始広劫の因果より此かた。生死にちんりんせり。現世にて人にあやまたるゝは。過去にてかれをかいせしむくいなり。今又かれをせつがいせば。未来は必むくひにかへつて。生々世々に打うたれん事。ながく三途の妄執也。今まう念をひるがへし。敵をも念力をもふりすてゝ。あふたま〃請がたき仏躰同生の人身をうけ。此生に此身をうかべずば。いつの時にか生死の海を渡らんと。歎きつくしざんげをはたし。西方を念じ本願をたのまば。必一念弥陀仏即滅無量罪にして。安楽国に生るべし。さあらば此世にてかりなるかたきをたすけ。ながき世の敵を打たるにては有まじきか。よく〃案じ見よとよ、
{カヽル｝〽《扨は未来りんゑのかたきとは。此妄執の心よなふ》〽中々の事なんぢが敵をうたばやと。思ふ心の妄執こそ。てきよりも猶かたきなれ　〽扨妄執の心を捨。無想無念に住すならば　〽こしんの弥陀ゆいしんの浄土に。父をもむかへ生れあはゝ゛。
{カヽル｝《夫こそ親の為よなふ》　〽いしくも知たり今はゝや。妄執のかたきをうちたるな　
{下｝〽《此理りをうけたまはれば。敵の事も打わすれ。父諸共に蓮の縁。同じく生れあふべしと　
{下同｝きけばいよ〃我父を。思ひ出るに付ても。敵のうらめしさ猶々思ふぞかなしき、
{序同｝南無やしやしよくきみやうちやうらい本願しきの所
{同｝まことにてうせの。悲願なり　
{サシ｝〽我らも此観念に至りぬれば
{同｝のうけんしよけん共にいかでかうたがひ有べき。さればしやうをこしこに去とても。しよちうゑんしやうにして。生死はかりに。つらなれり
{下クセ｝糸竹のしらべ。心をしづめてぎがく紫雲につらなれり。ほうじゆのはるのいつくしき。花のひもとく時をまつ。池の蓮はをのづから。すゝ゛しき水に夏あり。秋は草木のこと〃゛く。紅葉の錦よこぎり。冬は又ふがんゑんわうたはぶれて。いさごの雪に跡をつけ。たへなる姿あらはれり、
{上｝〽吹風もたつ川波も。しとくはらみつの法をとひてとくをなし。扨ふうめいのふぜうは。るりのたる木るりの戸。こがねの戸びらひらけ内ににんにくのまむをたれ。きんかくのしとねのべ敷。さもいさぎよきしやうこんを。聞に付てもたのみありとくしてむかへ給へと。此上人をらいはいし。夜もすがらざんげし一念をはらしをはりぬ　
{シテカヽル｝〽いさ〃念仏申さんと。しやうこをつとりたちりあがり
{ワキ｝〽手にとる数珠のかず〃に　〽ざんきざんげ（※「さん。け」？）の心の月　
{一セイ｝出よやいでよ世の中に　
{地｝〽すめばうらみの。ある物を
{下シテ｝〽夜念仏と人や聞らん身ひとりは。いつをいつとか。思ひわくべき。南無阿弥陀仏　
{上同｝時をうつせる四季の色々。春は花　
{シテ｝〽夏はみどり　
{同｝〽秋はくれなゐ　
{シテ｝〽冬は雪の　
{上同｝はだれになびく呉竹の。は音は聞えて色を見ぬ。盲目の此身の哀世にうきふししげき竹の杖。月にもうとき闇心はらさせ給へ上人よ〃》
{ヲカシ｝〽いかに申上候。つくしはかたの西濱の何かし空敷なりたると申て。腰の刀に状をそへ上人に送り申て候　
{ワキ｝〽言語道断の事
{シカ〃｝　
{文｝何々此度上人御下向により。偏に弥陀来迎の光明にてらされ。ぐちのめいあんもあきらめ候。なかんづく念仏修行のこうあん。往生極楽のようしゆ懇にしめしうけ給ひ候。去月下旬の比より。
{下｝《風病身躰をくるしむれ共。》
{詞｝一念十念におこたらず。五逆十悪のやみをいづ。けふすでに七月十一日に。ひがんの舟をまねき。西方のゑんはをしのぎ候。いさゝかしうゑんのまうしうとも成へきは。たゞ一旦の口論により。石見国高津の何がしを某が手にかけ候ひし。其時上人仰有しは。独の人身をころす事は。他生の仏躰をほろぼすに同じと承り候し。誠に罪障心中の悲しび。一念妄執に残るに依て。此刀を進上申候。ゑみのうちのしやをたいらげ。
{上カヽル｝《因果のきづなをきる御ほうはうにあづかるべう候。なむあみだ仏》
{シテ｝〽いかに上人に申上候。今の文の名字をばいづくの誰とか仰候ぞ　〽つくしはかたの西濱の何がしとて。此ひじりに師弟の契約をなしゝ者にて有しよ　〽なふ其者こそ此盲目なるものの。親の敵にて候へ。　〽そもかたきとは何事ぞ　〽扨も我父石見の国におゐて。つくしのはかたに行たりしを。今の西濱の何がしにうたせ。あはれ〃と思ひしに。今は敵もあらばこそ。
{上カヽル｝《誠は我は虚めくらよ　
{上キリ同｝かたきをうたん其為に。かく身をやつしたどりつゝ。道もまなこもあきらかに。今こそさはりなき心のかたき打たれ。是も思へば上人の。をしへをうけし我心。はるゝ雲間の月共に。西に生る此御法。実有がたきちかひかな〃》