元和卯月本「紅葉狩」

提供: Nohwiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

3-14 紅葉狩


{次第女}《時雨をいそぐ紅葉狩。〃、深きやまぢを尋む、
{シテ女上}〽是は此あたりに住女にて候、
{ツレ女同}実やながらへて浮世にすむとも今ははや。誰しら雲の八重むぐら。しげれる宿のさびしきに。人こそみえねあきの来て。庭のしら菊。うつろふ色も。うき身のたぐひと哀也、
{シテ下}〽あまりさびしき夕ま暮。しぐるゝ空をながめつゝ。四方の梢もなつかしさに、
{下女同}ともなひ出る道のべの草葉の色も日にそひて、
{上歌}下紅葉、夜のまの露やそめつ覧、〃。朝の原は昨日より。色深きくれなゐを分行かたの山ふかみ。実や谷河に。かぜのかけたるしがらみは。ながれもやらぬ紅葉はを。わたらば錦中たえむと。先木の本に立よりて。四方の梢をながめて暫くやすみ給へや、
{ワキサシ}〽《面白や比は長月廿日あまり。四方の木末も色〃に。錦を色どる夕時雨。ぬれてや鹿の独啼、声をしるべの狩場のすゑ。実おもしろき気色かな、
{トモ一セイ}〽明ぬとて。野辺より山にゐる鹿の。
{同}跡吹をくるかぜの音に。駒のあしなみ。いさむなり、
{上歌}ますらおが、やたけ心のあづさゆみ。〃。入野のすゝき露分て、行ゑもとをき山陰の、しがきの道のさかしきに。おちくる鹿の声すなり。風の行ゑも。心せよ、〃》、
{ワキ詞}〽いかに誰かある、
{トモ}〽御前に候、
{ワキ}〽あの山かげに当つて人影のみえ候は。如何成者ぞ名を尋て来り候へ、
{トモ}畏て候。名を尋て候へば。やごとなき上臈の。まくうちまはし屏風をたて。酒宴のなかばとみえて候程に。懇に尋て候へば。名をば申さず。唯さる御方とばかり申候、
{ワキ}〽あらふしぎや。此あたりにて左様の人は思ひもよらず候。よし誰にてもあれ上臈の。道のほとりの紅葉がり。殊更酒宴なかばならば。
{カヽル}《かた〃のりうち叶ふまじと、
{上歌同}馬よりおりて沓をぬぎ。馬よりおりて沓をぬぎ。道を隔ゝ山陰の。岩のかけぢを過給ふ。こゝろづかひぞたぐひなき、〃、
{シテ女上}〽げにやかずならぬ身ほどの山のおくに来て。人はしらじとうちとけて。ひとりながむる紅葉ばの。色みえけるかいかにせむ、
{ワキ上}〽我は誰共しらま弓。唯やごとなき御事に。をそれて忍ぶ計なり、
{女上}〽しのぶもぢずり誰ぞ共。しらせ給はぬ道野辺の。便りに立より給へかし》、
{ワキ詞}〽思ひよらずの御事や。何しに我をばとめ給ふべきと。
{カヽル}《さらぬやうにて過行ば、
{女上}〽あら情なの御事や、一村雨のあま宿り、
{ワキ}〽一樹の陰に、
{女}〽立よりて、
{同}一河の流れをくむ酒を、いかでか見すてたまふべきと。はづかしながらも袂にすがり留むれば。さすが岩木にあらざれば。心よはくも立帰る。所は山路の菊の酒、何かはくるしかるべき、
{クリ同}実や虎渓を出しいにしへも。心ざしをばすてがたき、人の情のさかづきの。深き契りのためしとかや、
{サシ女}〽林間に酒をあたためて。紅葉をたくとかや。
{同}実面白や所から。岩ほの上の苔筵、かたしく袖も紅葉衣のくれなゐ、ふかきかほばせの、
{下ワキ}〽この世の人とも思はれず。
{同}胸うちさはぐ計なり、
{クセ}さなきだに人こゝろみだるゝふしは竹の葉の。つゆばかりだにうけじとは、思ひしかども盃に、むかへばかはる心かな。されば仏もいましめの。道は様〃 おほけれど。ことに飲酒をやぶりなば、邪淫妄語も諸共に。乱心の花かづら。かゝる姿はまた世にも。たぐひあらしの山ざくら、よその見るめもいかな覧、
{上女}〽︎よしや思へば是とても、
{同}前世の契りあさからぬ。深き情の色みえて。かゝる折しも道のべの、草葉の露のかごとをも、かけてぞ頼む行すゑを。契るもはかなうちつけに。人の心もしら雲の立わづらへる気色かな。かくて時刻もうつりゆく、雲に嵐の声すなり。ちるかまさきの葛城の。神の契りのよるかけて。月のさかづきさす袖も。雪をめぐらすたもとかな。たへずこうよう、
{上女}〽堪ず紅葉。青苔の地、
{同上}堪ず紅葉青苔の地。又是涼風くれ行空に。あめうちそゝぐ夜あらしの、物すさまじき。山陰に月待ほどのうたゝねに。かたしく袖も露ふかし。夢ばしさまし給ふなよ、〃、
{ワキカヽル}〽あら浅ましや我ながら。無明の酒の酔心。まどろむ隙もなきうちに。あらたなりける夢のつげと、
{地}〽︎驚く枕に雷火乱れ。天地も響き風をちこちの。たづきもしらぬ山中に。おぼつかなしや、おそろしや、
{上歌同}ふしぎや今まで有つる女。〃。とり〃化生の姿を顕はし、あるひはいはほに火焔をはなし。または虚空にほのほをふらし。咸陽宮の。煙のなかに。七尺の屏風のうへに猶あまりて其たけ一丈の鬼神の。角はかぼく。眼は日月面をむくべきやうぞなき、
{下ワキ}〽︎これもちすこしもさはがずして、
{同}これもち少もさはぎ給はず、南無や八幡大菩薩と。心に念じ。つるぎをぬいて待かけ給へば、微塵になさむと飛でかゝるを。とびちがひむずとくみ鬼神のまむなかさしとをす所を、頭をつかむであがらんとするを。きりはらひ給へば、つるぎに恐れていはほにのぼるを。ひきおろしさしとほし、たちまちち鬼神をしたがへ給ふ。威勢の程こそおそろしけれ》