元和卯月本「佛の原」

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4-23 佛の原


{次第}《よそは木ずゑの秋深き。〃、雪の白山尋む》
{ワキ詞}〽是は都がたより出たる僧にて候。我いまだ白山禅定せず候程に。此秋思ひ立しらやま禅定と心ざして候、
{道行}《はる〃とこしの白山しらざりし。〃。そなたの雲も天てらす神の、はゝその紅葉葉の。ちかひの色もいや高き嶺〃早くめぐりきて参詣するぞ有難き、〃》、
{詞}急候程に。是はゝや加賀の国佛原とやらむ申候。日の暮て候ほどに。是成草堂に立より。一夜をあかさばやと思ひ候、
{シテ女詞}〽なふ〃、あれなる御僧。なにとて其草堂には御とまり候ぞ、
{ワキ}〽ふしぎやな道もなく里もなき方より。女性一人来りつゝ。我に言葉をかけ給ふは。如何成人にてましますぞ、
{シテ}〽是は此仏原にすむ女にて候。時もこそあれ今宵しも。此草堂に御とまりこそ。有難き機縁にてましませ。けふは思ふ日にあたれり。御経をよみ仏事をなしてたび給へ。
{下}《さなきだに五障三従の此身なれば。まよひの雲も晴がたき。こゝろの水の濁りをすまして。涼しき道に引導し給へ》、
{ワキ詞}〽御経をよみ佛事をなせと承はる。これこそ出家の望みなれ。扨〃弔ひ申べき。妄者はたれにてましますぞ、
{シテ詞}〽古へ佛御前と申し白拍子は。此国より出し人也。都に上り舞女のほまれ世にすぐれ給ひしが。後には故郷なればとて此国にかへり。終に爰にて空くなる。跡のしるしも此草堂の。露と消にし其跡なり、
{ワキカヽル}〽《ふしぎや扨はいにしへの其名に聞えし仏御前の。なき跡までも名をとめて、
{シテ詞}〽佛の原といふ名所も。昔をとゞむる名残なれば、
{ワキカヽル}〽《今とぶらふも疑ひなき。成佛の縁ある其人の、
{シテ}〽名もたのもしや一佛成道、
{ワキ}〽観見法界、
{シテ}〽草木国土。
{二人}悉皆成佛ときく時は、
{上歌同}佛の原の草木まで。〃。皆成仏はうたがはず。有難や折からの。野もせにすだく。むしの音迄も声仏事をやなしぬ覧。山風も夜あらしも。声すみわたる此原の草木も心。あるやらむ、〃》、
{ワキ詞}〽猶々仏御前の御事御物語候へ、
{クリ地}《昔平相国の御とき。妓王妓女佛とぢとて。恩顔舞曲花めきて世上に名を得し遊女有しに、
{サシ女}〽始めは妓王をめしをかれて。遊舞の寵愛はなはだしくて。
{下同}色香をかざる玉衣の。袖の白露おきふしの。御簾のうちを立さらで。さながら宮女のごとく成しに、
{下シテ}〽思はざるにおりを得て。
{同}佛御前をめされしより。御心うつりていつしかに。妓王は出されまいらせて、
{シテ下}〽世を秋風の音更て
{同}涙の雨も。をやみもせず、
{クセ}げにや思ふ事かなわねばこそ浮世なれ。我は本よりゆうしよくの。花一時の盛なればちるを何と恨むや。嵐はふけども松は本来ときはなり。いつ歎きいつ驚かむ浮世ぞと。おもへばかゝる折節の。来るこそ教へなれ。しかも迷ひを照すなる、
{上女}〽弥陀の御国もそなたぞと、
{同}頼みをかけて西山や。うき世のさがの奥深き草の庵りに隠家のかくれてすむと思ひしに。思ひの外なる仏御前の。様をかへ来りたり。こはそも去にても斯捨る身と成ぬれど。猶も御身のうらめしさの。執心は残るにそもかゝる心もつ人かや。今こそ誠の佛にてましませとて。妓王は手を合感涙をながすばかりなり、
{上ロンギ地}むかしがたりは扨をきぬ。さて今跡をとひ給ふ御身いかなる人やらむ、
{シテ}〽我は誰とか岩代の。松の葉結ぶ露の身の行ゑを何と問給ふ、
{地}〽行ゑ何くと白雪の。跡をみよとはこの原の、
{シテ}〽草の菴は爰なれや、
{地}〽つゆの身ををく、
{シテ}〽草堂の
{上同}あるじは仏よといひ捨て。立さるかげは草衣。尾花が袖の露分草堂のうちにいりにけり、〃、
{ワキ上歌}〽松風寒き此原の。〃。草のかりねの床とはに御法をなして夜もすがら。彼跡とふぞ有難き、〃、
{後シテ上}〽あら有難の御経やな。はや明がたにもなる哉覧。遠寺の鐘も幽にひゞき。月落かゝる山かづらの。あらしはげしきかりねのとこに。夢ばしさまし給ふなよ、
{ワキカヽル}〽ふしぎやな佛の原の草まくらに。遊女の影の見え給ふは。如何様きゝつる佛御前の。幽霊にぞましますらむ》、
{シテ詞}〽はづかしながらいにしへの。佛といはれし名をたよりにて。輪廻のすがたも歌舞をなす、
{ワキ}〽《極楽世界の御のりの声、
{シテ}〽仏事をなすや、
{ワキ}〽此原の、
{シテ}〽ほとけの舞の。妙なるそで、
{上地}〽草木もなびく。けしきかな、
{上ワカ}〽ひとり猶。佛の御名を。たづねみむ、
{地}〽をの〃かへる法の場人法のには人の、
{下シテ}〽法の教へもいくほどの世ぞや、
{上地}〽前仏は過ぬ、
{下シテ}〽後佛はいまだなり、
{上地}〽夢の中間は、
{シテ下}この世のうちぞや、
{上地}〽かねもひゞき、
{下シテ}〽鳥も音をなく、
{上地}〽よはのうちなる夢まぼろしの。一睡のうちぞ。仏も有まじ、まして人間も、
{下シテ}〽嵐ふく雲水の。
{同}〃。天にうかべる波の。一滴の露の始をば。何とかかへす舞の袖一歩あげざるさきをこそ。佛のまひとは云べけれとうたひすてゝうせにけりや、うたひ捨てうせにけり》