五百番本「鈴落」

13-4 鈴落

{シテ詞}〽是は住吉の仲の皇子にて候。扨も兄履中帝。叡慮淳にましますにより。吹風枝をならさず。御恵み四海に深く。誠に治る御代にて御座候。亦爰に田矢代の宿祢が娘に。黒姫とて容色無雙の美人有。御門是に御意をよせられ。某に参り。誠入内させられても然べき后がねか。能見て参れとの宣旨を蒙り。唯今宿祢が館に趣候
{上}《此夕暮に立出て〃。人目を忍ぶ夜の道。袖に懸れる篠の露おくに心のあくがれて。月又出る其方より。里見え初て尋行移り心はいかならん〃》
{詞}急候程に是は早黒媛の園の邊りにて候。爰に便りを得たる築垣有。暫く立寄ことのよしを窺ばやと存候
{姫サシ上}〽《実や松風小夜更ては。慰む宿の琴の音に。思はず移る我心。色に出ねば人は不知。しらで過ぬる今宵哉。思へば御意に。誰かなびかであらざらんと。ひそかにいふもおもはゆや
{シテ上}〽我は外面にたち忍び。媛の姿を灯の。光間近く能見るに。聞しは物の数ならず。さもみやびたる粧ひの。琴にかゝりし寝乱れ髪。かきやりしその有様は。中〃云も愚か成べし》。
{詞}今は布る化心我天皇と偽りて。ひそかに逢はやとて。
{上}《扉を閑に音信る
{ヒメ上}〽たそや更行柴の戸に。あやしき聲は呉竹の。戦ぐ下葉か夫かあらぬか
{シテ上}〽尋る心の花薄に。乱れしまろと覚さずや
{ヒメ}〽斯は夫共我心。君と見るよりいとゞしく。胸うちさはぎいはん方なく
{シテ上}〽さも恥かしき其風情。顔に散しく村紅葉
{ヒメ}〽心も空に
{シテ}〽初時雨{上同}降か軒端の忍ぶ草。〃。見初しよりの越方を。何に包まん唐衣。袂片敷草枕。千夜を一夜になせり共猶言の葉の残りなん。君に此事もれ聞え。明日は消なん我命。惜からざりし契りぞと。思へば争で帰らじとうちとけていざや語らん
{曲下}既に此夜も更過て。まくらの下に音づるゝ。虫の音も所がら。もの哀成終夜。実や過にし古へを。思ひ出れば唐国の。賢き君も恋路には。迷ふ草葉の露の玉。空敷貴妃の有家を尋よるせの沖津浪。聞に心もいとゞしく。泪の玉かづら。懸て誓ひも深かりし。其兼言も徒に昔語りに成とかや
{シテ}〽夫は浮世になき身なり。
{同}今逢初し此契り。天地ともに替らじと寔に心うちとけて。さも睦じき誓言を。流石女のはかなさは。正敷君と思ひつゝ。さす巵も重なりて早あか月に成ぬれば。名残は尽ぬ事なれど。人目の中の関守に。八声の鳥も聲々に。はやきぬ〃゛の御別れ。其時皇子浅ましや。運つき弓の徒に。入さの月にあらね共鈴を落して夜の床。知らで別れし身の程を後にぞ思ひ知られける〃》
{中入}
{ワキ一セイ}〽《抑是は仁徳の皇子瑞歯別とは我事なり。》
{詞}扨も此度仲の皇子。黒媛を犯し給ふ。その天罰の顕れて。時刻を移さず趣候
{一セイ上}《松が枝の。波にうつろふ朝日陰。嵐や岸に。よせぬらん》
{ワキ詞}〽斯て難波に押寄て早討取や官軍とさも高聲に呼はりけり
{後シテ上}〽《其時仲の皇子兼てより。待まふけたる事なればものゝぐ堅め今日を限りと。思ふ心の武くして。好む長刀小脇に横たへ。中門に立てぞ待かけたり
{上同}下知に随ふ武士の。〃我まつさきにと乱れ入を。仲の皇子は心得たりと。長刀柄ながく追取延て。向ふを拂ひ。八方すかさず飛鳥のごとくになぎ給へば。面に進む兵者もしどろに成てぞみえたりける
{ワキ上}〽瑞歯別思ふ様
{同}〃。今は手づめの勝負をせんと。走り懸つて二打三打。畳重て打太刀は。互の秘術に少時勝負は見えざりけるが。よれや今は組むとて。うちものかしこにからりとなげすて。諸手に組て金剛力を互ひに出して組給ふが。流石に君の天罰にや瑞歯別仲の皇子を取て投ふせすかさず討取たまひつゝ猶々治る御代のしるし〃に名を万代にぞ留給ふ》