五百番本「恋塚」
19-3恋塚
{次第}《露の身もろき憂世ぞと、〃、兼て思はぬはかなさよ》、
{ワキ}〽是は紀州より出たる僧にて候。我未都をみず候程に。此秋おもひ立都に上り候、
{上道行}《法のかどいづみの杣木たなびくや。〃。気色もいとゞうらみある葛の葉茂きしのだやま。こや住の江や難波潟。芦分舟もほやみする。秋の山にも着にけり、〃》、
{詞}急候程に。都に着て候。実音に聞しあきの山に着て候。鳥羽の恋塚と申つゞけ候へ共。未所をしらず候。人を相待尋ばやと思ひ候、
{シテ女詞}〽なふ〃あれ成御僧。恋塚を御尋候ば御道指南申候べし此方へ御入候へ、
{ワキ}〽荒嬉しや更ば御供申候はん、
{シテ}〽是こそ恋づかにて候能々御覧候へ、
{ワキ}〽扨は是成が恋塚にて候ひけるぞや、
{サシ上}《我此塚に来て見れば。浅茅が本に柳垂て。草木も執心の色を顕わす。あら痛わしや候》、
{シテ}〽いかに申候。けふは思ふ日にあたりて候。此塚の辺にて御経を読仏事をなして給り候へ、
{ワキ}〽安間の事仏事をばなし申候べし。扨誰と廻向申候べき、
{シテ}〽いやとよ其名は申まじ、
{上カヽル}《たゞ〃仏事をなし給へと、
{上同}夕影を待雲間住秋の空。〃。またれぬ月のほの見えて。やしほにみゆる四方の里。梢も色付か。けしきも嘸な秋の山。なすの河原の草の露。たまもの前も我ごとく。なき跡までも名を残す浮世語りも。恥かしや、〃》、
{ワキ詞}〽猶々恋塚の謂御物語候へ、
{クリ地}《夫人間愁ひの花盛。恩愛別離の風たかく。生死無常の月の影。不定の雲猶深し、
{サシ}〽昔後鳥羽の院の御宇に。盛継何某と申し人、
{同}夫婦の契り浅からず。比翼連理のかたらひをなし。花鳥遊楽様々成しに。長柄の橋の花薄。時ならぬ風御簾吹上て。匂ひ充来其姿。心言葉に及びがたし、
{シテ上}〽其時遠藤武者盛遠は。
{同}一目みしより恋となりて。おもひの泪にふし沈み。うき身も消る斗なり、
{下シテ}〽いとゞ心もやるかたなく詞に余り玉章の。数を尽すにつれなくも。便の風の。つてもなし、
{下クセ}悲敷かなや盛遠。陸にまどへる水鳥の。波間に沈むごとくなり。熟々是を案ずるに。伯母の事と思ふ故。恨み数々云けれど。女心に色もなし。世の中に惜きは命かくばかり。ひと太刀恨みて思ひを晴し申さんと。さもあらけなき風情なり。其時衣川。娘によしを語れば。娘泪の隙よりも。堅人二君に仕へず貞女両夫にまみへずと此理を聞時は妹背の道は替るまじ。二道かくるさゝがにの。糸はかなきを何かせん。我はこゝろも一筋に。おもひ沈めて玉の緒の。はかなきはひを虫よ。枕ならぶるねやの内。女良の中の色分て、
{シテ}〽宵毎に。いもゐをなされかみぬれし。
{同}夫を指南に。うつゝなる夢といひけん命なる。天長く地久敷しつかうのやくをなしゝ身を。夕の嵐吹分て。中有のみちに入相の。鐘斗社名残なれ。冠唐衣そばだて我髪を濡しつゝ。ふしどに入て待けるに、
{上シテ}〽遠藤太刀抜忍び入。
{同}姫を夫とあやまり。首打落し提て我やに帰るはかなさよ。其姫の死骸を是成塚に築籠て。今の世までも恋塚と申伝へたり、
{上ロンギ地}〽げに痛敷物語。猶おく深き言の葉を委く語りおわしませ、
{上シテ}〽此池の水も名残や惜むらん。太刀をすゝぎし其故に。しすひの色かへて扇の池と号すなり、
{上地}水の哀れは扨置ぬ。御身いか成人やらん、
{上シテ}〽今は何をか包むべき。我此塚の女なり、
{下同}愧かしながら御僧に。姿をまみへ申なり。なき身をとはせと。更行月の影ともに。夢物語申さんと塚掻分て入にけり塚の内にぞ入にける》、
{中入}
{ワキ上歌}〽《夕暮に川音さえて鳥の声。〃。塒をおしむ草の原。寥敷袖も露深し。月澄渡る夜もすがら。此御経を読誦する、〃、
{後下シテ}〽葉客忽につくす。春三月めいよう落易し。秋一時。老少本来の上きやうなし黄泉のがれがたし即時とす、
{上同}花も散。春も暮行木の本に。命尽ぬる入相の鐘、
{シテ}〽恩愛の其友は。留まつてなをあり、
{上同}飛揚せよ魂。さつていづくにかゆく、
{シテ}〽盛成はなの姿も散果て、
{上同}哀にみゆる、
{下シテ}〽春の夕暮、
{上同}中秋三五の月の光に。つれて姿を顕わすなり》、
{シテ}〽思ひ出たり何某の律師。文学上人此所に来り。
{上}《ぜんぽう読給ひし事。耳にそみて
{同}有難や、
{下シテ}〽南無しはう仏法僧南無せきや法しふ、
{ワキ上}〽文しゆほうけんほき、
{シテ}〽南無妙法蓮花経、
{ワキ}〽妙法蓮花経、
{下シテ}あんらけいひん、
{上同}ししふんしゆしり、
{シテ}〽ほうわうし、
{上同}菩薩はかさ、
{舞アリ}
{上同}はきにつけんせそんししよ菩薩、
{下シテ}〽しんゐなんゆう、
{上同}りんかうれんりのけいめいもなく。更行月の桂川に。波風も声立そへて、
{上シテ}〽お女しんし、
{同}しやうのうしよしやう。せうさうちいせつし、
{上シテ}〽悪（あ？）きふしんきむ、
{上同}ちやくしんしんたけふよせう女、
{上シテ}〽しよ女花女とうしんこん、
{上同}実や貴き此経の。〃。功力にもるゝ事なし。諸々のぐんるい。草木国土悉皆成仏有難の誓ひや、
{下シテ}〽我妄執の雲霧多く。
{下同}〃、娑婆の輪廻にくかいを出ず。やう〃たりしを。今御僧の御法を受て。衆罪如草露恵日も照そひ紫雲たなびき音楽聞へ。変成男子の姿となりて。解脱の衣を飜し。都卒に生るゝ歓喜の心。〃に夢打覚て。更行あらしや残るらん》