明暦野田本「弓八幡」
1-02 弓八幡
{大臣次第}《御代もさかゆく男山。〱。名高き神に参らむ》
{ワキ詞}〽︎抑是は後宇多の院に仕へ奉る臣下なり。偖も比はきさらぎ初卯八幡の御神事なり。ゑいきやくのみぎんなれば。べいしうの参詣仕れとの宣旨を蒙り。唯今八幡山にわけ入候。
{道行}《四つの海。波静かなる時なれや。〱。八嶋の雲も治りて。実九重の道すがら。ゆきゝの旅も,豊にて。廻る日影も南なる。八幡山にも着きにけり〱。》
{詞}急候間。やはた山に着て候。心静に神拝を申さうずるにて候
{一セイシテ二人}〽︎《神まつる。日もきさらぎの,けふとてや。長閑き,はるの。けしきかな》
{ツレ}〽︎《花の都の空なれや》
{二人}《雲もおさまり。風もなし》
{サシ}《君が代は千世に,やちよにさゞれ石の。巌となりて苔のむす。松の葉色も常磐山。緑の,そらものどかにて。君安全に民あつく関の戸ざしもさゝざりき。本よりも君を守りの神国に。わきて誓ひも,すめる夜の。月かげろふの石清水。たえぬ流の末,迄も。生るを放つ大悲の光り。実有難き。時代かな》
{下哥}《神と君との道すぐに歩みを。はこぶ此山の》
{上哥}《松高き。枝もつらなる鳩の嶺。〱。曇らぬ御代は久かたの。月の,かつらの。男山実もさやけき影に来て。君万歳と祈るなる。神に歩を。はこぶなり。〱。》
{ワキ詞}〽︎けふは当社の御神事とて。参詣の人々,おほき中に。是なる翁錦の袋に入れて持たるは弓と見えたり。そも何処より参詣の人ぞ。
{シテ詞}〽︎是は当社に年久しく。君安全と祈申者なり。又是に持たるは桑の弓なり。身の及びなければ奏聞申さず。只今御参詣を待ち得申し。君へ捧物にて候。
{ワキ}〽︎有難し〱。先々めでたき題目なり。扨其弓を奏せよとは。私に思ひ寄けるか。もし又当社の御託宣か。《分て謂を申べし》
{シテ詞}〽︎是は御言葉ともおぼえぬ物かな。けふ御参詣を待え申。桑弓を捧申事。則是社神慮なれ。
{ツレ上}〽︎《其うへきけば,ちはや振神の御代には桑の弓。蓬の矢にて世を治めしも。すぐなる御代の例なれ。よく〱奏し給へとよ》
{ワキカゝル}〽︎《実げに是は泰平の。御代の験は,あらはれたり。まづ其弓を取出し。神前にて拝見申さばや》
{シテ詞}〽︎いや〱弓を取出しては。何の御用の有べきぞ。
{ツレ}〽︎《むかし唐周の代を。治めし国の例には》
{シテ詞}〽︎弓箭をつゝみ干戈を治めし,ためしを以て》
{ツレ上}〽︎《弓を袋に,いれ》
{シテ}〽︎《剣を箱に治むる社》
{ツレ}〽︎《泰平の世のしるしなれ》
{二人}《それは周の代是は本朝。名にも扶桑の国を,ひけば》
{上同}《桑の弓。とるや蓬の,やはた山。〱。誓の海もゆたかにて。君は船。臣は水ほの,くに国も残りなく,なびく草木の。恵みも色もあらたなる御神託ぞめでたき。神託ぞめでたかりける。》
{ワキ詞}〽︎桑の弓蓬の矢にて世を治めし謂猶〱申候へ。
{クリ詞}《抑弓箭を以て世を治し,はじめと,いつぱ。人王の御代はじまりても。則当社の御神力なり》
{サシ}〽︎《しかるに神功皇后。三韓を,しづめ給ひしより》
{詞}《同じく応神天皇の御聖運。御在位も久し国富み民も。ゆたかに,おさまる天下。今に,たえせぬ,みつきとかや》
{クセ}かみ雲上の月卿より。しも万民に至るまで。楽しみの声尽もせず。しかりとは申せども。君を守りの御めぐみ猶も,ふかき故により。欽明天皇の御宇かとよ。豊前の国。宇佐の郡。れんだいじの麓に。八幡宮とあらはれ。八重はた雲をしるべにて。洛陽の。南の山高み。くもらぬ御代を守らんとて。石清水いさぎよき。霊社と現じ給へり。されば神功皇后も。異国退治の御ために。九州四王寺の峯に,をひて七箇日の御神拝。ためしも今は久方の。天の岩戸の神遊ひ。むれ,ゐて歌ふや榊葉の。あをよきてしらにきてとり〱成し神霊を》
{上シテ}〽︎《うつすや神代の跡すぐに》
{詞}《今も道ある,まつりごと普しや,ひもろぎの。をかたまの木の,えだに。金の鈴を結びつけて千早振神あそび。七日七夜の御神拝誠に天も納受し。地神も感応の海山。おさまる御代に立帰り。国土を守り給ふなる。八幡三所の神託ぞめでたかりける》
{上ロンギ地}〽︎《実や誓ひも影高き。〱。此衣更着の神祭。かゝる神慮ぞありがたき》
{シテ上}〽︎《有難き。千代の御声を,松陰の。ふけ行月の夜神楽を。奏して君を祈らん》
{上地}〽︎《祈る,ねがひも瑞籬の。久しき代より,つかへてき》
{シテ上}〽︎《我は誠は代々を経て》
{上地}〽︎《今此年になる迄も》
{シテ上}〽︎《生るを放つ》
{上同}《かはらの神とは我なるが。この御代を守らんと。唯今爰に来りたり。八幡大菩薩の御神託ぞ,うたがふなとて書けすやうに。失せにけり〱》
{ワキ上哥}〽︎《都に帰り神勅を。〱。悉く奏し上べきと。いへばお山も音楽の聞えて異香薫ず也。げにあらたなる奇特かな〱》
{後シテ上}〽︎《もとよりも人の国より,わが国。他の人よりも我人と。誓ひの,すゑも明らけき。真如実相の月ゆみの。八百万代に至る迄。動かず絶ず君守る。かはらの神とは我事也》
{上地}〽︎《きさらぎの。初卯の神楽おもしろや》
{シテ上}〽︎《うたへや,うたへ日影さすまで》
{上同}袖のしらゆふ返す〱も。千代の声々。うたふとかや》
{上ロンギ地}〽︎《実や末世といひながら。〱。神の威光はいやまして。かくあらたなる御影向。おがむぞ貴かりける》
{シテ上}〽︎《君を守の御めぐみ。本より,さだめある,うへに。殊に此君の神徳。天下一統と守る也》
{上地}〽︎《実〱神代今の世の。しるしの箱の明らかに》
{シテ}〽︎《此山上に宮居せし》
{上地}〽︎《神の,むかしは》
{シテ}〽︎《久かたの》
{上同}《月の,かつらの男山。さやけき影は所から。畜類鳥類鳩吹く松の風までも皆神体とあらはれ。げに,たのもしき神心しけむ大菩薩八幡の神託ぞ,ゆたかなりける。〱》