明暦野田本「三笑」

14-719 三笑

{シテサシ}《普の慧遠廬山の本に居して。三十余年隠山を出ず。白蓮社を,むすびならびに十八の賢あり。其外数百人世を捨て。栄を忘れて共に西方を誦し。六字を礼し此草庵に遊止す》
{下哥}《かくて流れを枕とし。岩にロをす〃ぎて》
{上哥}《行住坐臥の,おこなひに。〃。座禅の床をもる月も西に,かたぶく折節は。洞煙谷雲の,うちよりも。瀑布の滝の,しろ妙に。明ぼの〃山の姿。たとへんかたぞなかりける》
{二人一セイ}〽︎雲無心にしてもつて岫を,いで。鳥飛が,ごとくに倦で。還る,事をや。しらぬらん》
{上哥}《比も早。霜降月の曙に。〃。野山の草の色迄もちる紅葉に,うつろひて。枯野になれど,しら菊の。花はさながら紅いの。やしほに,みゆる気色かな、〃》
{エン詞}〽︎いかに此草庵に慧遠禅師の渡り候か。陶淵明陸修静,是迄参りて候。
{シテ詞}〽︎其時禅師は白蓮社を出。書を以て淵明を招き給ひければ。
{上二人}〽︎《二人は共に拝をなし》
{上哥詞}《廬山のさかしき石橋を。こ〃ろ静に渡りつ〃。巌に腰をかけ。瀑布を詠給ヘり。三千世界は眼に,つき。十二因縁は。心の中にきはもなし》
{エン詞}〽︎如何に申候
{シテ}何事にて候ぞ。
{エン}〽︎廬山に,いたらざらんは是僧にあらずと申候よなふ。
{シテ}〽︎実〃左様に申候。
{エン}〽︎扨〃瀑布と,いふ事は。いかなる謂の有やらん。
{シテ}〽︎いや〃異なる事はなし。万人名を得て瀑布といふ
{二人上カ〃ル}〽︎《日香炉を,てらしで紫煙をなす》
{シテ}〽︎《遠く見れば織が,ごとくにして天台に,かく》
{二人上}〽︎《宝尺を,こらす事を,やめよはかりがたし》
{シテ}〽︎た〃,きむたうの,せんざいし,やすきを恐る》
{ワキ}〽︎《はいて林梢にむかつて夏雲となす》
{シテ}〽︎《かたぶき来つて石上に順来をなす》
{ワキ}〽︎《しらんと欲す是銀河の水なる事を》
{シテ}〽︎《人間に堕落して合して》
{ワキ}〽︎《かへつて》
{シテ}〽︎《めぐる》
{上同}《三国無双の此滝を。今,迄拝せ怒心こそ愚なりけれ。本より琴詩酒の友なれば。こ〃ろ静かに,むかしをいざや語らん》
{クセ}《抑,此淵明と申すは。彭沢の令となり。官にある事。八十余日。印を,といて去とかや。日夜に酒を愛し。松菊を翫ぶ。菊を東籬の,もとに,とつて。南山を,みる事も。君に忠ある,ゆへとかや》
{上}〽︎《また陸修静は。宋の明帝の御時に仙の法を学んで。陸道士と申なり。後には当山の,かんじやくくわんに。隠居してましませり。此人〃は天下にも,ならぶ,かたもなき事なれば。廬山の虎渓にも劣らぬ光なりけり》
{下シテ}〽︎《菊の,しら露積りつもつて。不老不死の薬の,いづみ。よもつきじ》
{上地}〽︎《幾万代も,かぎらじな》
{上同}《さす盃の廻る夜も。〃明れば暮るも,しら菊の。花を肴に立まふ,たもと酒狂の舞とや。人の見む》
{シテ上}〽︎よろづ代を》
{上同}〽︎《万代を。〃。松は久しき例なり。松はひさしきためしなり》
{シテ下}〽︎《年をおい松も緑は,わか木の姫小松》
{上同}《四季にもおなじ葉色の常磐木の。松菊を愛し。かなたこなたへ足,本は泥〃でい〃と苔むす橋を。よろめき給へば淵陸左右に。かいしやくし給ひて。虎渓を遥に出で給へば。淵明禅師にさて禁足は破らせ給ふかと。一度にどつと手をうちわらつて。三笑の,むかしと。成にけり》