明暦野田本「かたな」

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10-474 かたな


{シテ詞}〽︎か様に候者は。奥州信夫の郡刀の庄に。刀の兵衛家次にて候。扨も某は先腹に当腹に子を二人持て候。兄は出家の望と申候あいだ。出羽国羽黒山に登せて候。又此程申越候は。同行御入峯の由申候間。日〃に路次に人を出し待申し候へども。いまだ御越もなく候程に。今日も路次に人を出し。客僧の御返り候は〃。某にしらせよと申付ばやと存候。如何に誰かある
{トモ}〽︎御前に候
{シテ}今日も路次に人を出し。客僧の御返り候は〃それがしにしらせよ申付候へ。
{トモ}〽︎畏て候
{山伏次第}《旅の衣は篠懸の〃露けき袖やしほるらん》
{ワキ詞}〽︎是は出羽国羽黒山峯入の先達にて候。又是に渡候新發意は。奥州信夫の郡刀殿の御子息にて候が。是も御入峯あり度よし仰られ候間御供申。今日は刀殿の館迄かけばやと存候。
{サシ}《暁梁王の苑に入ぬれば。空郡山にみつ》
{ワキ}〽︎《よる庾公の樓に登れば。子里にあきらか成有明の》
{道行}《月の都を思やる〃。心はとまる古里の出羽の羽黒を立出て。浮には馴ぬ旅衣。忍ぶの郡玉造。秋風たらぬ宮城野の古枝の真萩はなしげみ。藤崎見ゆる夕哉〃》
{詞}急候程に。刀殿の館も程近う見えて候。先〃卿の殿に能力を相添案内を申さばやと存候
{小先達}〽︎尤懸るべう候
{ワキ}〽︎如何に能力〽︎御前に候
{ワキ}汝は刀殿に参申べき様は尤参るべく候へ共。余に同行大勢にて候間。必出峯の折節参べきよし申。卿の殿を御供申候へ。是で候
{シカ〃}
{シテ}何と申すぞ、卿の殿が来りたると申か。此方へと申せ〽︎畏て候
{シテ}〽︎此間久しくみず候へば。抜群に成人してあるよ。扨先達は何処に御座候ぞ〽︎実〃御使者を以て申とも御越あるまじく候。それがし自身御迎に参らふずるにて候。扨先達はいづくに御座候ぞ
{ワキ}〽︎是に候
{シテ}〽︎定て供者を以て申共御越有間敷と存。某自身御迎に参りて候
{ワキ}〽︎尤参るべく候へども。余に同行大勢にて候間。必出峯の折節参るべき旨申候処に。是迄の御出何より以て忝う候。扨各何と仕候べき
{小先達}〽︎刀殿自信御越の上は。是非に及ばず唯御生あらふずるにて候
{シテ}〽︎よう仰候則御供申さうずるにて候
{ワキ}〽︎如何に申候。此所は古へに引替。事の外成御冨貴の躰と見えて候
{小先}〽︎左様に見えさ給て候
{シテ}此間待申候とは申ながら。何にても用意申事も御座なく候。暫御定を休らはれ心静に御入峯あらふずるにて候。
{ワキ}唯〃も申ごとく。此所は古へに引替事の御冨貴の躰と見え申て候。又御亭へ尋申度事の候
{シテ}〽︎何事にて候ぞ
{ワキ}〽︎此所は古へ藤崎の庄と申候が。御名字に依て刀の庄と申候か
{シテ}〽︎さむ候某知行たるによつて。所の名代刀の庄と申候
{ワキ}さらば其子細を承たく候
{シテ}卿の殿は申候はぬか
{ワキ}〽︎より〃尋申候へども。委御存知なき由仰候
{シテ}〽︎左様に候べし。委は存間敷候。させる物語にては御座なく候へ共。語つて聞かせ申さうずるにて候。扨も某が為には六代目の祖父にて候者は。八幡太郎義家の奉公の者にて候が。八幡殿安倍貞任御追爵の御為に当國藤崎の庄に御在陣有て。日夜に戦の事十二年に三月とかや申候。されば八幡殿御運開かけ給ひ。安倍貞任を安〃と亡し。おなじく弟栗屋川の次郎宗任をば。某が先祖の者搦捕て。公方へ参らせ上る。其御恩賞に。此の藤崎の庄を給つて候。猶も先祖の者こざかしき者にてや候ひけるが天晴御字を一字下されよかしと申。安き事とて義家の家の字に。御重賓の御腰物を添て下されて候。腰物を下され候上は。名字をも刀と名乗べきと申。其子細は御字も刀御重宝の刀何れも刀を下され候上は。名字をもかたなと名乗べきと申上る。時の面目時の奥。寔に浦山さる者もなく候。この子細を以て刀の庄と申候。
{ワキ}近比御名誉なる御先祖にて候。扨其御腰物をば今に伝へて御所持にて候か
{シテ}さん候今に伝へて持て候
{小先}〽︎いかに先達へ申候。若輩の里望には。唯〃御雑談の御腰物を一目相見申度との御事にて候
{シテ}〽︎重代とは申ながら取出す事もなく候へども。御所望にて候間御目に懸うずるにて候。如何に誰かある〽︎御前に候
{シテ}重代の刀を取て来り候へ〽︎畏て候
{ワキ}八幡殿何代かつたへ御持候腰物。当上家の寳と成事の目出させ候。誠に昔作りと見えて近比見事にて候。
{先}〽︎先達の御諚のごとく。むかしづくりとみえて近ごろ見事なる御腰物にて候。各はそれより御覧候へ。
{詞カ〃ル}〽︎《供奉の客僧面〃に。かなた此方に取渡し。是を座布の一奥に》
{ワキ}〽︎《さかづきの数を廻して》〽︎《見れ共あかず尋常に》
{ワキ}〽︎替て重き寳なれば》
{小先}〽︎《氷をしけるはた刃》
{ワキ}《雲を移せる深渕に》
{小先}〽︎《むかふこ〃ろは冷しや》
{ワキ}〽︎《唯春風に》
{小先}〽︎《行雲の》
{上哥同}《花を重ぬる世の宝。〃。弓箭の家にとり伝へて類なやうつくしや。か〃る名物今迄も。みずや聞すと誉たりけり。唐士の千将莫耶が剣もかくやらん。お酌に立て盃を》
{ワキ詞}〽︎御重代の御腰物を見申うへは。先達お酌に参らふずるにて候。
{哥詞}《お酌に立て盃を。取伝へたる弓筆の家のむかしの物語。思ひさし成べし。親子なれども稀にあふめづらしの盃や思ひとりに呑ふよや〃。互にしひつしひられつ。日影もめぐるさかづきの。返す返すも親と子に相あふ今のうれしさよ。のまではいか〃有べきぞ。うたへやまへといさみつ〃其ま〃に酔臥して更ゆく月をも徒に。前後不覚にみえにけり。
{シテ詞}〽︎旁には申さず某が給酔て候。先達へ持て参らう召上られ候へ。や。実〃永〃の御旅の御草臥にあらかに申て候。暫休ませ申さうずるにて候。
{ワキ}〽︎何事にて候ぞ
{ワキ}何と夜前の御腰の物か内儀になければ。客僧の中にあらふずると承候か
{小先}〽︎其御腰の物ハ此客僧の手より御亭へ慥かに渡して候
{シテ}何事を申ぞ
{シテ}何と夜前の刀の内儀になければ客僧御中に有ふするよりはや申上たると申か
{シテ}〽︎などそれがしには申さぬぞ汝が聊尓にこそ弥上つて候へ、しされ暫くやすませ申さうずると存候処に、早く御目を覚させて候
{ワキ}〽︎其御事にて候。夜前の大御酒に殊のほか給酔て候。又御亭へ申べき事の候
{シテ}何事にて候ぞ
{ワキ}〽︎夜前拝み申御腰物が内儀に御座なく候へば。客僧の中にあらふずる由承候か。御腰はし御座候か
{小先}〽︎その御腰の物は此客僧が手より御亭へ慥に渡して候
{シテ}〽︎其上あなたに御座あらふずるにて候。御心易く思召れ候へ
{ワキ}〽︎いや御座あらふずるにてはかなひ候まじ。其御腰の物を今一目拝み申さでは此座敷をば取立間布候
{小先}〽︎如何に先達へ申候。我等が道具には笈ならではなく候間。筁をさがされ候は〃盗人は一人出来。余人の愧は有まじきかと存候
{シテ}〽︎いやそれは客僧達をうたがひ申に候て社候へ。何とて左様には仰候ぞ
{小先}〽︎いや疑ひ給はずとも。先盗人をさがし出し。科ある者を罪すべし
{シテカ〃ル}〽︎《実きくだにもおそろしや。法の罪科は如何ならん》
{ワキ詞}〽︎山中にては谷行とて。科有者を強くいましめ。卒都婆に載て谷へ落す
{小先}〽︎《扨里にては石こづみとて大石につみこめ失ふなり》
{シテ}〽︎さて〃左様の科人を。うしなひ給ふも行体のうち候が
{ワキ}《中〃の事咎を酬は〃。仏陀のたよりたるべきなり》
{シテ}〽︎扨又左様の大法を彼りて科をゆるすならば
{小先}〽︎《明王の御罰を蒙りて。山伏の烈にてあるべからず》
{シテ詞}〽︎もし此うちに刀なくは
{小先}〽︎《客僧の悪名有べからず》
{ワキカ〃ル}〽︎《まことに不道の者あらば》
{小先}〽︎《時刻を移さず此所に》
{上詞}《石こつみにつみこめて。〃後代の例に見せ申さんと面〃に笈を取出し。座敷にたてならべつ〃とくさがせやと先達の。す〃むる様はおそろしや。手を握りたるう浮沈かな》
{上小先}〽︎小先達立よりて。〃。大先達の笈よりも。次第しだいにさがしけり。けいち阿闍梨の笈をみれば。上段には両部の曼荼羅五大前さて下段には。散杖鍚杖鈴仏具。三鈷獨鈷立鈷閼伽桶短長行法の為に入られたり。扨又中老若輩の笈を次第に伝見すれば。山林斗薮の道具とも。苔閼伽水の濁りにしまぬ。はな篭花桶梯の袈裟。頭巾腹中に八つめの草鞋火打に硫黄付たれそへ雨皮につ〃むて入られたり。初学者の笈には〃。真言天台の聖教要文下段には。小文を揃へて入たるは。少人達の。名残を惜み。又あふ迄の。記念の為かや。誮しや誮しや。今は卿の殿の。笈ばかり残りたり。親子なれども法なればとて。からげをとけば不思議やな。刀は此笈に隠したりとて取出せば当座の人〃面〃に。不思議なりける刀哉。〃》
{シテ詞}〽︎如何に卿の殿おことば何と存て。この刀をば盗とつて有ぞ。おこと出家にて候とも。先此刀をばおことに譲りゆく〃は弟にも世たつせよと申付んと存候処に。今此刀を盗取てそれがしにも恥辱をあたへ。おことが身も扨よな。今生後生七生迄の勘当にて有ぞよく聞候へきけとこそ。却て不便に候。不便なるといふ謂は。母には幼少よりをくれ。唯一人残りたる某には勘当を得。おことが身のなれる果をば何と心得て有ぞ御座敷をば取立候へたてところ。あら口惜や御座布をさへたつまじき者にて候
{卿下}〽︎《本よりににくまる〃継母なれば。犯さぬ罪に沈めつ、。うしなはむとの巧みなり。わがすこさぬを顕はさば。重ねて如何なるうき目にも。あふべきなれば力なし》
{下哥}《咎に此身を沈めつ〃。うき名にかへて継母の孝行に備へ申さんと。思ひけるこそかなしけれ》
{小先}〽︎いかに先達へ申候。はや盗人は一人出来て候間。余人の愧は有まじきかと存候。御大法のごとく御罪科あらふずるにて候
{シテ}〽︎いやひとつは親子の事にて候間くるしからず候
{ワキ}〽︎いや御為の親子にはよるまじや。同行の笈をさがす上は。其身の咎は遁るまじ。親子なれども出家の身は先達のはからひたるべきなり
{小先}先〃この身をいましめむと。同行をの〃立上り。われらの面をよこしつる。にくさはいかにとあらけなく。さつくの縄にてしばりけり
{シテ}山伏の法はさる事なれ共。まさしき我子を目の前にて。いましめ給ふは無念なりと。思ひ切てぞか〃りける
{ワキ}〽︎やあおことは思ひの余りか。爰に謂のあるを語って聞せ申べし。夫山伏のはじめは役の行者葛城の。岩橋を渡さんとて。一言の神をいましめ給ふ。かづらきの時神も優婆塞の御弟子なれば。御子なればいろひ給はず。その上余所にのみ見てややみなんとよまれしも。此そへ哥と聞時は。神たりもいろひ給はぬ例のあるに。出家の法ないろひ給ひそ。あら勿体なやしづまり候へ。各もそれがしに御まかせ候へ
{シテ下}〽︎《実〃抑も理りなり。不便に思召るれ共。出家の法は力なし。とめ給はぬを親かほにて。兎角申し候悔しさよ》
{詞}《ゆるされ給へ客僧達迚迷ひの親の身を。同じく石こつみにつみてたはせ給へや》
{上同}《心よはくて叶はじと。〃。引たて行や山陰の。石こつみとはなにぞきく。今さら思ひ子の。最後を見るぞ悲しき》
{クセ}《父は思ひに堪兼ねて同行にむかひ手を合せ暫の暇たび給へ、今一目見むと嘆きけり。みれば無慙やな。つみ重ねたる磐石の。なかにをし籠かく計。千筋の縄を懸ずは。そもいづく迄遁るべき。角有べきとしらずして。法師になしてなき跡をとらるべき有増も。逆さま事や情なや。あらおそろしや山伏の。法とて殺す殺生はそもや。出家の慈悲かとよ。石の中にて卿の君。つく〃と案ずるに。いつのむくひの角ばかり。遁れかたなをわが笈に入けるは悪む継母のはからひと思へどもかたといは〃情なや。うき名やたてん後の親を親と思ふ孝行の。身はなき跡にぬれぎぬのいはぬ色ぞ悲しき》
{上}《此年月は父御前の》
{詞}《恋しかりしに引替て夢に成行世中の辺は程なきわかれ路と。なるみの浦のもしほ草かく共置し御名残互にみる目も涙にて。面影もみとめず啼こそ悲しかりけれ》
{上カ〃ル}〽︎《時刻うつれば同行は。親子の中を引ひて石こつみにつみこむる今の値遇に因果をはたしてこん世は必即身成仏。若我誓願大悲中。一人衆生。二世願楽。南無大日覚王如来》
{女上}〽︎《なふ其山伏は石こつみになし給るぞ。其客僧をたすけ置。我らを失ひおはしませ。あら悲しやおそろしや。継子を憎みしなき科に。沈むる罪の身に報ひ。無慙の責を蒙るぞや》
{シテ詞}〽︎何とて客僧達の大勢御入候中に御出候ぞ
{女下}〽︎《げに隔なき夫婦ながら。か〃る姿ははづかしけれと》
{詞}あの新發意は継子なれば。我子に家を継がせむため刀をとう。卿の殿が笈にわらはが隠して候物を。人はしらじと思ひ子の》
{下詞}《報ひになればわが科を我あらはせと明王の責にしたがひ心ならず。かたる社悲しけれ》
{上同}《此上は人びとに。科なき人をたすけて。咎ある我を石こつみにつみころし給へと。うへなる石を取のけて。さこそは重かる覧と躰をとつて引出し。扨其跡に居かはりて。因果の苦しびつみこめ給へ山伏》
{上同}《慙愧懺悔の有様を助くるは菩薩の行なれや。誠に継母の。ころすたつみは悪けれど顕はす此上は是も科をゆるすべし。懸を恩にて報せむと卿の君も同行も諸友に加持しけり。受持錫杖当願衆生或智利生。百八煩悩發菩提心、聞我名者断悪修善。聴我説者。得大智恵智我心者。即身成仏ほろおん〃と加持すでば。狂気も忽なをかつ〃。実あらたなる明王の護り刀は家の行すゑ栄ふる宿こそ候べしけれ》