五百番本「嵯峨女郎花」

05-4 嵯峨女郎花

{次第}《千代の古道跡留て〃又露分る袂哉》
{ワキ詞}〽是は華山の僧正遍照にて候。早秋も半に成候へば。嵯峨野々邊へ打越。草花をも詠ばやと思ひ候
{一セイ}霧分る。袖も匂ふや咲花の。数色そふる面白や。糸薄よりかけつなげとぶ駒の。あしも筋斗にいさむらん》
{詞}や言語道断落馬を致して候はいかに
{シテ}〽なふ〃御僧は落馬を成候か荒痛はしや候
{ワキ}〽さん候詠めにつゞく花故に。前後を忘れ思はずもあやまち仕候よ
{シテ}〽実々花に心を移し。家路を忘るゝものもあれば。御落馬有も理り也。夫に付御僧は華山の僧正遍照とて。名にしおふたる御方なれ今の分野御詠哥に承り度候
{ワキ}〽《寔に是は然るべしと。折からなれや花ゆへに
{シテ}〽馬より落し事なれば。其分野をやまとうたに
{ワキ}〽つらねて見れば
{上同}名に愛ておれる斗ぞ女郎花〃。我をちにきと。人に語るな花心。草木心なけれども。春秋分て色見する。所は嵯峨の成。さがなき事とおぼすなよ只名に愛し斗なり〃
{シテロンギ}〽実浅からぬ言の葉の。名にめで来る我ぞかし
{ワキ}〽名に愛来る我ぞとは。そもやいか成人哉覧
{シテ}〽我は寔は此ほとりくねる姿ぞ女郎花
{ワキ}〽なべてならざる御方に
{シテ}〽言葉をかはし申さんと。かりに顕れ参りたり
{上同}露けき秋の野邊ながら。爰に一夜ましまさば。名に愛染し花衣。かへす袂のまひを舞。哥をうたひて御僧に又こそまみえ申さんと。夕霧も立かくす千種の陰に失にけり〃》
{ワキ詞}〽扨は女郎花の精かりに顕れ。言葉をかはすふしぎさよ
{上}《月に臥嵯峨の野秋の草枕。〃。袖を片敷終夜はなのあたりに假寝する〃
{太コ一セイ}
{後シテ一セイ下}〽いにしへの秋にもこえて嵯峨の山すそ野々月は。影も曇らす
{上同ノル}秋深き野邊の萩原露さして過行花の。気色哉
{ワキカヽル}〽不思儀や見れば月影に。かゞやく斗うるはしき。女性のけしき異なるは。いか成人にてましますぞ
{上シテ}〽とふまでもなし花衣の。我ゆへ露にふし給はずや。愚に問せ給ふもの哉
{ワキ}〽扨ははや咲見え初し女郎花の。花の精にて渡り給ふか
{シテ}〽中〃の事草も木も。皆大君の国なれば。焉くも同じ秋の野々。非情の精も時をえて。人にはまみえ申なり
{上同}さほ鹿も妻とふ時に成にけり〃。嵯峨野々花の下紅葉。色に出めやはなころも。重て返す遊楽の秋の調べぞおもしろや〃
{シテ下}〽秋は先。都のにしを尋れば
{上同}さが野々はなぞ。咲初ける
{マイ}
{上ワカ}〽さきそめて。幾日もあらぬ女郎花うしろめたくも。風にちるらん
{下シテノル}〽散すな風に。かこへやかこへ
{上同}花の八重がきこむる出雲路や神代もきかぬ。錦を野邊に。織かけ衣の。袂もかざしも色めく斗の。分野哉
{上同キリ}斯て夜も更風寒て。草葉も玉の。宿りなる。露の光りも闇からぬ。月もかたぶく。西の空。山の端くらく。成侭に。是まで成と。遊楽の。重て返す小忌衣。花のかざしのしほ〃と。露けき床に。かくれけり》