三百番本「高安」

17-3 高安

{次第｝《紅葉を分る龍田ごえ、〃。高安の里をたづねむ》、
{ワキ詞｝〽是は都がたより出たる者にて候。我未春日立田に参らず候程に。此度思ひ立春日立田に参り、それより。河内路をへて都にのぼらばやと存候、
{上道行｝《立田路の末の山越雲霧の。〃。嶺たちならし鳴鹿の、声はる〃゛と行程に。麓に見えし高安の。里にもはやくつきにけり、〃》、
{シテ詞｝〽なふ〃あれなる旅人は。いづくより来り給ひて候ぞ、
{ワキ｝〽是は都の者にて候が。春日立田に参。只今此所に来りて候。扨爰をばいづくと申候ぞ、
{シテ｝〽さん候此所をば高安の里と申候、
{ワキ｝〽此所にをゐて。笛吹の松とはいづれを申候ぞ、
{シテ｝〽あれなるこそ笛吹の松にて候、
{ワキ｝〽扨何のいはれにて。笛吹の松とは申候ぞ、
{シテ｝〽往昔在原の業平。忍びかよひの立田をに。あの松陰にて。笛をふきたまひしによつて。笛ふきの松とは申ならはして候、
{ワキ｝〽扨はいにしへ業平の。笛吹たまひたる木の本成ぞや。業平は石上より立田越に。此所にかよひしよなふ、
{シテ｝〽さればこそ忍び〃の道なれ共。有常が娘の哥故に。
{カヽル｝《余所にも人や白波の、
{ワキ｝〽盗人のゐる山路なれば。覚束なさによみし哥の、
{シテ｝〽奥津白浪立田山、
{ワキ｝〽夜半にや君が独行らんと、
{シテ｝〽其ことの葉の、
{ワキ｝〽かくれなければ、
{上同｝高安の女も名にやたつた山。〃。夜半にまぎれてぬす人の。おそいやせんと思ふゆへ。それをなにたてゝ。奥津波とよみしなり。をよそ白波と申は、海賊の事といへ共。かいぞくも山賊も。只同じ名ぞと白浪の、心を寄てよみしなり、〃》、
{ワキ｝〽扨は誠に業平は。あの松陰にてふえを吹給ひて候よなふ、
{シテ｝〽中〃の事今夜は此松の下伏して。若笛の音の聞ゆる折からを待て御覧候へ、
{ワキ｝〽是はふしぎ成事を御申候、去ながら。
{カヽル｝《今夜は爰に松がねの》、
{シテ｝〽枕の夢を待給はゞ。其時わらはも顕て。昔を語参らせん、
{ワキ｝〽《そもや昔を語らんとは。扨々御身はいか成人ぞ、
{シテ｝〽あらはづかしや誰ぞとは、
{上同｝夕影草のかりの世に。〃。昔も今もかはらじな。高安の女とは昔もいはれ今とても、此里に住身なれば。高安の女ぞかし。うたがはせ給ふなとて人にまぎれ失にけり。人影にまぎれ失にけり、
{ワキ上哥｝〽高安の此松陰に假寝して。〃。むかしの跡を白露の。苔の莚をかたしきて、又ねの夢を待とかや、〃、
{後シテ｝〽あら有がたの御弔ひや。其名計は高安の。あさからざりし妄執の。其名も立や恋衣の。うらみの身にて明暮し、其夜は今にかへる夢の。まぼろしに顕れ出たる也、
{ワキ｝〽ふしぎやな松の響もさえ渡る。そなたを見れば人影の。有かなきかに見え給ふは。いかなる人にてましますぞ》、
{シテ｝〽御弔ひの有がたさに。たかやすの女と名にふりし。《其幽霊にて候也、
{ワキ｝〽ふしぎや扨は往昔の。其高安の女姿。なを執心は爰にきて、
{シテ｝〽閻浮の昔の故郷に、
{ワキ｝〽帰りきにけり、
{シテ｝〽君があたり、
{上同｝見つつおほらん伊駒山。〃。雲なかくしそ。雨はふる共秋の夜の。嵐も鐘も松の声も。高安の里なるに。夢ばし覚し給ふな。実や稀にして。逢事かたき松陰や。是も一樹の縁ならん、〃、
{上同｝実や命には遠き昔もなかりけり。みぬ世語の言の葉の露の。かごとゝ人やしる、
{サシ｝〽名にだにも昔男の跡とめて、
{同｝此高安の里人の。宿の軒端の花薄。ほの見えそめし面影の。其名をとめて今迄も。なき世がたりははづかしや、
{下曲｝凡かゝる身に。有明月のよにふるゝ。たとへもさぞな有原の。業平のいもとせに。紀のありつねが娘の。ねたむけしきもなかりしを。男あやしめ思ひねの。むねの烟の立やたゝずやしらぬ日の。ひさげの水のわきかへり、思ひぞくゆるうづみ火の。こがれける夜の恨をばたれかしるべき。去程に心ざし。ふかき情の色見えて。よ所の二道ひと方に。うつろふ色もなかりしを、
{上｝〽稀〃通ひてたかやすの、
{同}有し栖を今見れば。女はいつしか賎くも、飯貝取て様〃の。世のわざを賎の女がぬふてふ糸の麻衣の。面にも似ぬ人心。うしとて思ひ捨し身の。ねたむ心のためし也。よしなや思ひ忘れん、
{下｝〽去程に夜更人しづまつて。松風すめる折からに。すは笛の音の聞ゆるぞや。夜半楽にや成ぬらむ、
{上地｝〽笛竹の。夜声もすめる月影に。雲の袖をや。返すらん、
{舞}
{上｝〽折から松も名におふ。高安の、
{上地｝〽花岡山の、〽雪を廻らす袖のよそほひ、
{上地｝〽手の舞あしの、〽ふむ所、
{同｝実も妙成や、〃、夜遊の折から松風はさつ〃、村雨はほろ〃と、程ふる夜遊の曙の鳥もなき。鐘も聞え嵐もなびく松がね枕の夢さめて、高安の山風ばかりや残るらん》