三百番本「真田」

14-2 真田

{サシ}《扨も御陣は石橋山。小早河をとりかため。昼のいくさは午角なり。如何様夜軍有べしと。暮るををそしと待居たり、
{上哥｝武士のやたけ心のあづさ弓。〃。引てかへさじ迚身は。一代名は末代、誰かはおしまざるべき。とても憂世は秋草の。露にやどかる稲妻の。光あらそふ夜軍の。敵味方もさだめなや、〃》、
{頼朝｝〽いかに誰か有、
{トモ｝〽皆々御前に候、
{ヨリ｝〽昼の軍に夜軍とふれつるに。又相手組と申つる。くみての敵をば誰とかきひて有、
{トモ｝〽さん候。敵の組手はまたのの五郎景久と承りて候、
{ヨリ｝〽扨味方には誰か有べきぞ。少々勝りて出し候へ、
{トモ｝〽いかに岡崎殿。御諚にて候。急て相手を御申あらふずるにて候、
{岡崎｝〽御諚畏て承候。去ば何れをさしいづれを撰申べき。其きようをも存ぜず候。あつぱれ命を捨身にて候はゞやすく候へ共。申さば是が軍の手合。組勝てこそ然べけれ。唯兎も角も御諚が肝。要たるべく候、
{ヨリ｝〽岡崎が詞其中にすきなし。頼朝も兼て聞及し子細有。いかに真田の与一。今夜また野と組候へ、
{サナダ｝〽御諚畏て承候。唯今親にて候者申上候ごとく。くみしかれては味方のふかく家のはぢ。組勝てこそ然べけれ。又かやうに申せば命をおしむにて候程に。今夜の合戦には先懸を仕候べし。組手をば誰々にも仰出され候へ、
{ヨリ｝〽さなだが言葉ゆゝしくこそ候へ。家を思ふも弓矢のぎり。弓矢を思ふも主君の命。さのみの子細はふかく也、
{岡ザキ｝〽御諚尤にて候。いかにさなだ。若年の身として。君の御返しをばさやうに申物か。また野なればとて鬼神にてもあらじ。七十余人が力と聞。其に汝よもをとらじ。縦少はをとる共。具足の袖にてもあれ草ずりにてもあれ。取付て放さずひつくんでふし。其間に君を落し申。君をだに落し申たらば。己がしんでの高名ぞと。本より思ひ定たる由貞成に。火に薪をそへたる父がいさめ、
{上同｝《畏て候とて。〃。御前を立て出ければ。あら名残おし付を。見送りたりし父が思ひ。君もさこそと思召。皆感涙をながしけり》、
{ヨリ｝〽いかにさなだ、
{岡ザキ｝〽さなだめさるゝ、
{ヨリ｝〽いかにさなだ。命を捨る事何もせつなれ共。唯今の時節誠に信感に染り。ふく将軍を下し給ふぞとせいかうの大口に保の直垂をそへ。さなだに是をたびければ、
{サナダ}さなだは是を給はりて。時の面目こうきの名聞。弓矢取ての高名に。
{カヽル｝《三度いたゞき申ければ、
{上同｝御前の人〃も。其外とざま諸軍勢。理りや〃と、みな人是を見うらやまぬ人はなかりけり。猶しも頼朝かたじけなや。御杓をとりてくださるれば。さなだはひざまづき。〃。三度いたゞき請てほし、盃をもつて御前をしづ〃と出ければ。父の岡崎立あがり。たけき心はいさむれど。今をかぎりの親子の中。かまへて高名仕れと。言かはすことのはは。ふかき別の名残かな、〃、
{一セイ｝〽山河の。寄ては帰る浪の音。名もこばい川心せよ、〽霧立渡る石橋山。ひゞくばかりのときの声》、
{シテ詞｝〽扨もさなだがその夜の装束には。君より給りたるせいかうの大口に錦の直垂を着し。鐙ふむばり大音あげて名乗。
{カカル}《抑是は岡崎悪四郎が子に。さなだの与一貞成なり》、
{マタノ詞｝〽其時大場が勢の中よりも。武者一騎すゝみ出て名乗。
{カカル}《是は俣野の五郎景久とて。かくれもなき大力。同長尾の新五新六とて。兄弟の兵役俣野三騎かけ出たり、
{上同｝いざやくまんと景久は。〃。敵ちかくもかけ出す。本より真田の与一。くまんと用意なれば。しづ〃と馬かけならべ。たがひに太刀をなげ捨て。袖ひつちがへむんずと組て。両馬があひにどうとおつ。所から難義の悪所の。くらさはくらし巌石なれば。ゑいやとはぬればころりところび。上に成下になつて。遥の谷にころび落しが、さなだは力まさり。また野を取てをしつけ。頸をうたんと刀をぬけば。さやながらぬけたる刀。甲に当てちやうとうてば。二に折て力なく。手をむなしうしてあきれたり》、
{サナダ詞｝〽ぶんざう、〃。
{カカル}《いかにめのとのぶんざうや有と。よべどもぶんざう老武者なれば。耳朧にてきゝつけず、神ならぬ身のかなしさは。かく共しらでうちすぐる、其時長尾の新五新六手を取組で。谷におりくだり見れば、二人は重りあひたり、上なるさなだと兄弟落合むんずとくめば。物々しやとゆんでになげふせ、めてにひつしけば、また野もおきあがり。又下に組ふせ、むざんやたけきものゝふの、さなだが頸をぞとつたりける。文蔵是をば夢にもしらで馬かけまはし、かなたこなたをうかゞひければ。あれは文蔵か。さなだは討たり、扨はまた野か。うれしきかたきと馬よりとびをり太刀ぬきはなし、三人にわつて入火をちらし、〃。たゝかひけるが。むざんや文蔵太刀うちはづし、まつかうわられてうせにけり》