元和卯月本「通小町」
2-4通小町
{ワキ詞}〽是はやせの山里に一夏を送僧にて候。爰にいずくとも知ず女性一人。毎日このみつま木を持て来り候。今日もきたりて候はゞいづくの人ぞと名を尋ばやと思ひ候
{次第ツレ女}〽《ひろふ爪木もたき物の。〃匂はぬ袖ぞかなしき。
{女サシ}是は市原野のあたりにすむ女にて候》
{詞}扨も八瀬の山里に。貴き人の御入候ほどに。いつもこのみつま木をもちてまいり候。今日も又まいらばやと思候。如何に申候。またこそまいりて候へ
{ワキ詞}〽いつも来り給ふ人か。今日はこのみのかず〃御物語候へ
{ツレ女上}〽《ひろふこのみはなに〃ぞ。
{地}〽ひろふこのみは何〃ぞ
{女}〽いにしへみなれし。車に似たるはあらしにもろき落じゐ
{地}〽哥人の家のこのみには
{女}〽人丸のかきほの柿 山の邉のさゝぐり
{地}〽窓の梅
{女}〽薗の桃
{同}花の名にあるさくらあさの。生のうらなし猶もありいちいかしゐまてばしゐ。大小かむじきむかん。あはれ昔の恋しきは花たちばなの一えだ〃》
{ワキ詞}〽このみの数〃は承ぬ。扨〃御身はいかなる人ぞ名を御名乗候へ
{女上}〽《はづかしやをのが名を
{同}小野とはいはじ。薄生たる市原野邉にすむ祖母ぞ。跡とひ給へ御僧とてかきけすやうに。うせにけり〃》
{ワキ詞}〽かゝるふしぎなる事こそ候はね。只今の女をくはしく尋て候へば。小野とはいはじすゝき生たる。市原野にすむ祖母にてあると申かきけすやうにうせて候。爰に思ひあはする事の候。ある人市原野をとをりしに。すゝき一村生たる陰よりも。
{下}《秋風のふくにつけてもあなめ〃》。
{同}小野とはいはじすゝきおひけりとあり。是小野小町の哥なり。疑ふ所もなく小野こまちの幽霊と思ひ候程に。彼市原野に行。小町の跡をとぶらはゞやと思ひ候。
{ワキ上歌}《此草庵を立出て。〃。猶草深く露しげき市原野邉にたづねゆき。座ぐをのべ香をたき。南無幽霊成等正覚出離生死頓生菩提
{女}〽うれしの御僧のとぶらひやな。同じくは戒さづけ給へ御僧。
{シテ上}〽いやかなふまじ戒さづけ給はゞ。恨申べし。はや帰り給へ御僧。
{女}〽こはいかにたま〃かゝる法にあへば。猶其苦患を見せむとや。
{シテ}〽ふたりみるだにかなしきに。御身一人佛道ならば我思ひおもきがうへのさよ衣かさねてうきめを三瀬川に。しづみ果なば御僧の。さづけ給へるかひも有まじ。はやかへり給へや。御僧たち
{上歌同}猶も其身はまよふとも。〃。戒力にひかれば。などか仏道ならざらむ唯ともに戒をうけ給へ。
{女}〽人の心は白雲の。我はくもらじ心の月。出て御僧にとはれんと薄をし分いでければ。
{シテ}〽つゝめど我も.ほに出て。〃。おばなまねかばとまれかし。
{地上}〽思ひは山のかせきにて。まねくとさらにとまるまじ。
{下シテ}〽さらば煩悩の犬となつてうたるゝとはなれじ。
{地上}〽おそろしの姿や
{シテ}〽袂をとつて。ひきとむる
{地}〽ひかるる袖も
{シテ下}〽ひかふる。
{同}我袂も。ともになみだの露深草の少将》
{ワキ詞}〽さては小野小町四位の少将にてましますかや。さむげにつみをほろぼし給へ。
{シテ}さらばおことは車の榻に。百夜待し所を申させ候へ。われは又百夜通ひし所をまなふで見せ申候べし。
{女}〽《本より我は白雲の。かゝるまよひの有けるとは》
{シテ詞}〽思ひもよらぬ車の榻に。百夜通へといつはりしを。
{下}《まことゝ思ひ》
{詞}暁ごとに忍びくるまのしぢにゆけば
{女上}〽《車の物見もつゝましや。姿をかへよといひしかば》
{シテ詞}〽こしくるまは云に及ばず
{女上}〽《いつか思ひは。
{上地}〽山城の木幡の里に馬はあれ共
{シテ}〽君を思へばかちはだし
{女}〽扨其すがたは
{シテ下}〽笠にみの
{上女}〽身の浮世とや竹の杖》
{シテ詞}〽月には行も暗からず
{女}〽さて雪には
{シテ}〽袖をうちはらひ
{女上}〽《扨雨の夜は
{下シテ}〽目にみえぬ》
{詞}おに一口もおそろしや
{女上}〽たま〃くもらぬ時だにも
{シテ}〽身獨にふる涙の雨か。あらくらのよや
{上女}〽夕暮は。一かたならぬ。おもひかな。
{上シテ}〽ゆふぐれはなにと
{地}〽ひとかたならぬ。思ひかな
{上シテ}〽月は待らん。月をばまつらん。我をばまたじ。そらごとや
{上地}〽あかつきは。〃。かず〃おほき。思ひかな
{シテ}〽我為ならば
{地}〽鳥もよしなけかねも唯なれよもあけよ唯ひとりねならば。つらからじ
{下シテ}〽か樣に心を。盡し〃て
{同}〃 榻の数々よみてみたれば九十九夜なりいまは一夜よ嬉しやとて。待日に成ぬ。急ぎてゆかむ。すがたはいかに。
{シテ下}〽笠も見ぐるし
{地}〽かさ折ゑぼし
{シテ}〽蓑をもぬぎすて
{地}〽花すりころもの
{シテ}〽色かさね
{地}〽うら紫の
{シテ}〽ふぢばかま
{地}〽まつらん物を
{シテ}〽あらいそがしや。すはゝやけふも
{同}くれなゐのかりぎぬの。衣紋けだかくひきつくろひ。飲酒はいかに。月のさかづきなりとてもいましめならばたもたむと。たゞ一念のさとりにて。おほくのつみを滅して小野小町も少将もともに佛道なりにけり〃》