元和卯月本「あふむ小町」

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4-13 あふむ小町


{ワキ詞}〽是は陽成院に仕へ奉る。新大納言行家にて候。扨も我君敷嶋の道に心をかけ。普く哥を撰ぜられ候へ共御心にかなふ哥なし。爰に出羽国小野良実が娘に小野小町。かれはならびなき哥の上手にて候が。今は百年の姥と成て。関寺辺にあるよし聞召及ばれ。御憐の御哥をくだされ候。其返哥により。重て題を下すべしとの宣旨に任せ。唯今関寺辺小野小町が方へといそぎ候、
{シテ一セイ}〽《身はひとり。我は誰をかまつさかや。しの宮河原四の辻。いつまた六の。ちまたならん、
{サシ}昔は芙蓉の花たりし身なれ共。いまは藜蓼の草となる。顔ばせは憔悴とおとろへ。はだへはとうりのなしのごとし。杖つくならでは力もなし。人を恨身をかこち。なひつ咲ふつやすからねば物狂と人はいふ、
{上歌}さりとてはすてぬ命の身にそひて。〃。面影につくもかみかゝらざりせばかゝらじと昔をこふる忍びねの。夢は寝覚のながきよを。あきてはてたりな我心、〃》、
{ワキ詞}〽如何に是なるは小町にてあるか、
{シテ詞}〽見奉れば雲の上人にてましますか。小町と承はり候かや何事にて候ぞ、
{ワキ}〽扨此ほどはいづくを栖とさだめけるぞ、
{シテ}〽誰とむるとはなけれども。唯関寺辺に日数を送り候、
{ワキ}〽実〃関寺は。さすがに都とをからで。閑居には面白き所なり、
{シテ詞}〽前には牛馬の通路有て。貴も行いやしきも過、
{ワキカヽル}〽《後には霊験の山たかふして、
{シテ}〽しかも道もなく、
{ワキ}〽春は、
{シテ}〽春霞、
{上歌同}立出見れば深山辺の。〃。梢にかゝる白雲は花かとみえておもしろや。松風も匂ひまくらに花散て。それとばかりにしら雲の色香面白きけしきかな。北に出れば湖の志賀からさきのひとつ松は。身のたぐひなる物を。東に向へば有難や。いし山の観世音せたの長はしは狂人の。つれなき命のかゝるためしなるべし》、
{シテ詞}〽かくて都の恋しき時は。柴の庵にしばしとゞむべき友もなければ。
{下カヽル}《たよりなしの杖にすがり。都路に出て物をこふ》。
{詞}乞得ぬ時は涙の関寺に帰候、
{ワキ}〽いかに小町。扨いまも哥をよみ候べきか、
{シテ}〽われいにしへ百家仙洞のまじはりたりし時こそ。ことによそへてうたをもよみしが。今は花すゝき穂に出初て霜のかゝれる有様にて。浮世にながらふるばかりにて候、
{ワキ}〽実尤道理也。帝より御憐の御うたを下されて候、是〃見候へ、
{シテ}〽何と帝より御憐の御うたを下されたると候や。あら有難や候。老眼と申文字もさだかにみえわかず候。それにてあそばされ候へ、
{ワキ}〽さらば聞候へ、
{シテ}〽いかにもたからかにあそばされ候へ、
{ワキ}〽雲の上は、
{シテ}〽雲のうへは、
{ワキカヽル}〽《雲の上は。有し昔にかはらねど。見し玉だれの。うちや床しき》、
{シテ詞}〽あら面白の御哥や候。
{下カヽル}《かなしやなふるき流れをくむで。水上をたゞすとすれど。哥よむべし共思はれず》。
{詞}又申さぬ時は恐れなり。所詮此返哥を。唯一字にて申さふ、
{ワキ詞}〽ふしぎの事を申物かな。それ哥は三十一字をつらねてだに。心のたらぬうたもあるに。一字の返哥と申事。
{カヽル}《是も狂気の故やらん》、
{シテ詞}〽いやぞと云文字こそ返哥なれ、
{ワキ詞}〽ぞと云文字とは扨いかに、
{シテ}〽さらば帝の御うたを。詠吟せさせ給ふべし、
{ワキ}〽不審ながらもさしあげて。
{上}《雲のうへは。有しむかしにかはらねど。見し玉だれの。うちやゆかしき》、
{シテ詞}〽さればこそ。うちや床しきをひきのけて。うちぞゆかしきとよむ時は。小町がよみたる返哥也、
{ワキカヽル}〽《扨古へもかゝるためしのあるやらん、
{シテ上}〽なふ鸚鵡かへしといふ事は、
{上歌同}此哥の様を申なり。帝の御哥を。はひまいらせてよむ時は天の恐れもいかならん。和哥の道ならば神もゆるしおはしませ。たつとからずして。高位にまじはると云事。唯和哥のとくとかや、〃、
{クリ地}それ哥の様を尋ぬるに。長歌短哥旋頭哥。折句誹諧混本かあふむがへし。廻文哥なり、
{シテサシ}〽なかむづくあふむがへしと云事。唐土にひとつの鳥あり、
{同}〽其名をあふむといへり。人の云言葉をうけて。すなはちをのが囀りとす。何ぞといへば何ぞと答ふ。あふむの鳥のごとくに。哥の返哥もかくのごとくなれば。あふむがへしとは申なり、
{クセ}実や哥のさま語るにつけいにしへの。猶思はるゝはかなさよ。さればこしかたの世々のあつめの哥人の。其おほく有中に。いまの小町は妙なる華の色ごのみ。哥のさまさへおうなにて唯よは〃とよむとこそ家〃の書伝にもしるし置給へり、
{上シテ}〽和哥の六義を尋しにも。
{同}小町がうたをこそ。たゞことうたのためしにひくのみか我ながら。美人のかたちも世にすぐれ。よでうの花とつくられ。桃花雨をおび柳髪かぜにたをやかなり。紫筆なをうごきほこり梨花は名のみ成しかど。今憔悴とおちぶれて。しむていひしゆつする小町ぞ哀成ける》、
{ワキ詞}〽如何に小町。業平玉津嶋にて法楽の舞をまなび候へ、
{シテ詞}〽扨も業平玉つしまにまいり給ふと聞えしかば。我もおなじくまいらむと。
{カヽル}《都をばまだ夜をこめていなり山。葛葉の里も浦ちかく。和哥吹上にさしかゝり、
{下同}玉津嶋にまいりつゝ、〃、業平の舞の袖。思ひめぐらすしのぶずりとくさ色のかりぎぬに。大紋のはかまのそばをとりかざおりゑぼしめされつゝ、
{上シテ}〽和光のひかり玉つしま、
{地}〽めぐらす袖や。なみがへり、
{シテ上}〽和哥の浦に。しほみちくれば。かたほ浪の、
{地下}〽あしべをさして。田鶴鳴わたる鳴わたる、
{下シテ}〽たつ名もよしなや忍びねの、
{同}立名もよしなやしのびねの月にはめでじ、
{シテ}是ぞこの、
{地上}〽つもれば人の、
{下シテ}〽老となるものを、
{地}〽かほどにはやき光りのかげの。時人をまたぬ。ならひとはしら波の、
{上シテ}〽あら恋しのむかしやな、
{上キリ同}かくて此日も暮ゆくまゝに。さらばといひて。行家都にかへりければ、
{シテ}〽小町も今は是までなりと。
{同}杖にすがりてよろ〃と。立別れ行袖の涙。立わかれ行袖の涙も関寺の。柴の菴に帰けり》