元和卯月本「春日龍神」

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4-20 春日龍神


{次第}《月の行ゑもそなたぞと。〃、日の入国を尋む》、
{ワキ詞}〽是は栂尾の明恵法師にて候。我入唐渡天の心ざし有により。御暇乞の為に春日の明神にまいらばやと思ひ。唯今南都に下向仕候、
{道行}《愛宕山しきみが原をよそに見て。〃。月にならびの岡の松。緑の空も長閑成都の山を跡にみて。是も南の都路や。奈良坂越て三笠やま。かすがの里に着にけり、〃、
{シテ一セイ}〽晴たる空に向へば。和光のひかり。あらたなり、
{サシ}夫山は動ざる形を現して。古今に至る神道をあらはし。里は平安のちまたを見せて。人間長久の声みてり。誠にみなも久堅の。天児屋根の世々とかや、
{下歌}月にたつ影も鳥居のふたはしら、
{上歌}御社のちかひもさぞなよところの。〃。神の代よりの末うけて。すめる水屋のみかげまでちりにまじはる神こゝろ。三笠の森の松風も。枝をならさぬ気色かな、〃》、
{ワキ詞}〽いかに是なる宮つこに申べき事の候、
{シテ詞}〽や、是は栂尾の明恵上人にて御座候ぞや。唯今の御参詣さこそ神慮に嬉敷おぼし召候らん、
{ワキ}〽さむ候、只今参詣申事、よの儀にあらず。我入唐渡天の心ざし有により。御暇乞の爲に唯今参りて候、
{シテ}〽是は仰にて候へ共。さすが上人の御事は。年始より四季折〃の御参詣の。時節のすこしのちそくをだに。まちかね給ふ神慮ぞかし。されば上人をば太郎と名付。笠置の解脱上人をば次郎と頼み。左右の眼両の手のごとくにて。晝夜各参の擁護懃なるとこそ承りて候に。日本を去入唐渡天し給はん事。いかで神慮にかなふべき。唯思召とまり給へ
{ワキ}〽実〃仰はさる事なれ共。入唐渡天の心ざしも。仏跡をおがまむためなれば。なにか神慮にそむくべき、
{シテ}〽是又仰とも覚えぬ物哉。仏在世の時ならばこそ。見聞の益も有べけれ。今は春日の御山社。即霊鷲山なるべけれ。そのうへ上人初参の御時。
{カヽル}《奈良坂のこの手を合せて礼拝する。人間は申に及はず心なき、
{上歌同}三笠のもりの草木の。〃。かぜもふかぬに枝をたれ。春日山野邊に朝たつ鹿までも。皆こと〃くいで向ひ。ひざを折、角をかたぶけ上人を礼拝する。か程の奇特を見ながらも誠の浄土はいづくぞと。問は武蔵野の果しなのこゝろや唯かへす〃我頼む。神のまに〃とゞまりて神慮をあがめおはしませ、〃》、
{ワキ詞}〽猶々當社の御事委く御物語候へ、
{シテサシ}〽《しかるに入唐渡天といつぱ。仏法流布のなをとめし。
{同}古跡を尋む為ぞかし。天台山をおがむべくは。比叡山にまいるべし。五臺山の望みあらば。芳野築波を拝すべし、
{下シテ}〽昔は霊鷲山。
{同}今は衆生を度せんとて。大明神と示現し此山に宮居し給へば、
{下シテ}〽すなはち鷲の太山共。
{同}春日の御山を。拝むべし、
{クセ}我をしれ釋迦牟尼佛世に出て。さやけき月の。世を照すとはの御神詠もあらたなり。然れば誓ひある慈悲萬行の神徳の迷ひを照す故なれや。小機の衆生の益なきをかなしび給ふ御姿。瓔珞細軟の衣を脱麁弊の。散衣を着しつゝ。四諦の御法をとき給ひし鹿野苑も爰なれや。春日野に起臥は鹿の薗ならずや、
{上シテ}〽其外當社のあり様の。
{同}山は三笠にかげさすや。はる日そなたにあらはれて誓ひを四方に春日野の。みやぢもすゑあるやくもりなき西の大寺月すみて。光ぞまさる七大寺。御法の花も八重桜の。みやことて春日野の春こそのどけかりけれ》、
{ワキ詞}〽実有難き御事かな。即是を御神託と思ひさだめて。此度の入唐をば思ひとまるべし。扨〃御身は如何成人ぞ。御名をなのり給ふべし、
{シテ}〽入唐渡天をとゞまり給はゞ。三笠の山に五天竺をうつし。摩耶の誕生伽耶の成道。
{カヽル}《鷲峰の説法、
{同}雙林の入滅までこと〃くみせ奉るべし暫くこゝに待給へと。木綿四手の神の告。われは時風秀行ぞとてかきけすやうにうせにけり、〃、
{上歌ワキ}〽神託まさにあらたなる。〃。聲のうちより光さし。春日野の山金色の。世界となりて草も木も佛躰となるぞふしぎなる、〃、
{上地}〽時に大地震動するは。下界の龍神の参會か、
{下シテ}〽すは。八大龍王よ、
{上地}〽難陀龍王、
{シテ}〽跋難陀龍王、
{地}〽娑伽羅龍王、
{シテ}〽和修吉龍王、
{地}〽徳叉迦龍王、
{シテ}〽阿那婆達多龍王、
{同下}〽百千眷属引つれ〃。平地に波瀾をたてゝ。仏の会座に出来して。御法を聴聞する、
{シテ上}〽其外妙法緊那羅王、
{地下}〽また持法緊那羅王、
{シテ上}〽がく乾闥婆王、
{地上}〽楽音乾闥婆王、
{下シテ}〽婆稚阿修羅王、
{地下}〽羅睺あしゆら王の恒沙のけんぞくひきつれ〃、是も同じく座列せり、
{上歌同}龍女が立舞波欄の袖。〃。白妙なれや。和田の原の。はらふは白玉立はみどりの。空色もうつる海原や。おきゆくばかり。月のみ舟のさほの河づらにうかび出れば、
{下シテ}〽八大龍王、八大龍王は、
{同}八のかぶりをかたぶけところは春日野の月の三笠の雲にのぼり。烽の野守も出で見よや。摩耶の誕生。鷲峰のせつぽう。双林の入滅。こと〃く終て是までなりや。明恵上人さて入唐は、
{ワキ}〽とまるべし、
{地}〽渡天はいかに、
{ワキ}〽わたるまじ、
{地}〽扨仏跡は、
{ワキ}〽尋ぬまじや、
{同}尋ねても〃此上あらしの雲にのりて。龍女は南方に飛去行ば。龍神は猿澤の池の青浪けだてけだてゝ。其たけ千尋の大蛇となつて。天にむらがり地に蟠りて池水をかへして失にけり》