明暦野田本「生田敦盛」
19-949 生田敦盛
{ワキ詞}〽︎か様に作者は黒谷法然上人に仕へ申者にて候。又是に,渡り候御方は。上人賀茂へ御参の時。さがり松の本に。さもうつくしき男子二歳計なるを。尋常に拵へ箱の蓋に入捨被つるを御覧じて。上人不便に思召れ,いだかせて帰りやう〃にそだて給ひ候程に。はや十歳に余り給ひ候。父母のなき事を嘆給ひ候間。説法の後此事を御物語り候へば。聴衆の中より,わかき女性立出。我子にて候ふ由申され候程に。ひそかに御尋候へば。一年一の谷にて討れ給ひし。無冠の大夫敦盛の。忘れがたみにて候旨申され候へば、父御にあひましまさぬことを歎給ひ。御命もあやうくみえさせ給候ほどに。賀茂の明神に一七日参籠申。夢に成とも父御の御姿を御覧有度よし御祈念候。今日満参にて候間。同道申是明神へ。参り候。祈念候程に。是は早賀茂の明神に着て候。御心静に御祈念あらふずるにて候。
{子方サシ}《有難や所からなる御社の。あけの玉垣神さびて。心も,すめる御手洗の。深き恵を頼むなり》
{下哥}《夢になりともたらちねの其面影を見せ給へ。かく計。祈る心のすゑとげば。〃。恵みになどか漏べきと。誓ひ,た〃すの神ともに。願ひを叶へおはしませ〃》
{子詞}〽︎荒ふしぎや。少睡眠のうちに。あらたに霊夢を蒙りて候
{ワキ}〽︎あら目出の御事や候。何と申たる御霊夢にて候
{子方}〽︎あの宝殿のうちよりも。あらたなる御声を出し。汝夢に成共父を見むと思は〃。摂津国生田の森へ下れとあらたに霊夢を蒙りて候
{ワキ}〽︎あらめでたの御事や候。御霊夢に住せ。是よりすぐに生田の杜へ御供申さうずるにて候。
{上哥}《山陰の。賀茂の宮居を立出て。〃。いそぐ行衛は山崎や。霧たち,渡る水瀬川。風も身にしむ旅衣。秋は来にけり昨日だに。とはんと思ひし津の,くにの。生田の森に着にけり〃。》
{詞}やうやう御いそぎ候程に。是ははや生田の杜に御着にて候。又あれに見えたる野辺は。生田の小野にてもや候らん。心静に詠めうするにて候。か様に爰かしこをさすらひ候程に早日の暮て候。あれに人宿とおぼしくて燈の影の見え候ふ。立越やどを,からばやと思ひ候。
{シテサシ}〽︎《五薀もとより是皆空。何によつて平生此身を愛せん。苦を守る,いうこんは夜月に,とび。屍をうしなぐ,はくは秋風に嘯く。あら心すごの折からやな》
{ワキ}〽︎《不思議やなこれなる草の庵の,うちに。さも花やか成わか武者の。甲冑を帯し,みえ給ふは。如何なる人にてましますぞ》
{シテ}〽︎誰とはならやうにてしや。面〃是迄きたり給ふも。我に対面の為ならずや。はづかしながら古の。敦盛が幽霊来りたり
{子}〽︎《なふ敦盛とは,わが父かと。身にも覚えず,はしりより》
{上同}《袂にすがりたえこがれ。〃。なく音に立つる鴬の。あふ事の,うれしさも。うき身にあまる計なり。かくはしれへども頼まれぬ。夢の契を。現に返すよしもがな。》
{シテ上}〽︎《むざんやな忘れ,かたみの,なでしこの。花やかなりし身なれども。おとろへはつる墨染の。袂を見る社あはれなれ。扨も御身孝行の心ふかき故。賀茂の明神に歩みを,はこび。夢になりとも,わが父の。姿を見せてたび給へと祈誓申す。明神あはれみおはしまし。閻王に仰つかはさる。閻王仰を承り。しばらくの暇を給はるなり。親子の契りも今を限りなるべし》
{下哥}《ふけ行月の,よもすがらむかしをいざや,かたらん》
{クセ}〽︎然るに平家の。栄花を極しその,はじめ。花鳥風月のたはぶれ詩歌管絃の様〃に。春秋を送り迎へしに。いかなる折か来りけん。木曽のかけはし懸てだに。おもはぬ。敵に,おとされて。主上を始奉り一門の人も,こと〃く。花の都を立いで西海の,そらに赴きぬ。習はぬ旅の道すがら。山を,こえ海を,わたり。しばしはあまざかる。鄙の住居の身なりしに。又立帰る,うた浪の。須磨の山路や一の谷。生田の森に着しかば。こ〃は都もほど近しと。一門の人〃も,よろこびをなし〃折節に》
{上}《範頼義経のその勢》
{詞}《雲や霞の,ごとくにて。暫戦ふといへども平家は運もつき弓の。やたけこ〃ろもよは〃と。皆散〃に成はて〃。哀も深き生田川の。身を捨し物語。かたるぞよしなかりける》
{シテ下}《うれしやな夢の,ちぎりの仮初ながら。おやこあふむの袖ふれて》
{詞}《名残つきせぬ心かな》
{シテ}〽︎あれに,みえたるはいかなる者ぞ。何閻王よりの御使とや。片時の暇と仰られしに。今,迄遅参に。閻王いからせ給ふぞと》
{上地}いふかと見れば,ふしぎやな。〃。黒雲にはかに立来り。猛火を,はなち。剣を,ふらして。其数しらざる修羅の,かたき。天地をひ〃かし,みち〃たり》
{下シテ}《物物し明暮に》
{詞}《なれつる修羅の。かたきぞかしと。太刀真かうに。さしかざし。こ〃やかしこに,はしり廻り。火花をちらして戦ひしが。しばらく有て黒雲も。次第に立ち去り修羅のかたきも忽に,きえ,うせて。月澄渡りて,めい〃たる暁の空とぞなりたりける》
{シテ}〽︎《恥かしや子ながらも》
{詞}《かくくるしみをみる事よ。いそぎ帰りてなき,あとを懇に,とひてたび給へと。なく〃袂を引わかれ。立さる姿はかげろふの。小野の浅路の露霜と,かたちは,きえて失にけり〃。》