明暦野田本「哥うら」
7-318 哥うら
{次第}《〽︎雪三越路のしら山は。〃。夏陰いつくなるらむ》
{ワキ詞}〽︎か様に候者は。加賀國白山の麓に住居する者にて候。偖もいつく共しらぬ男神子の候か。小弓に短冊をつけ哥占を引候。けしからす正しき由を申候間。今日罷出うた占をひかせはやと思ひ候。渡候か。哥占の御望のよし承候。御供申さうするにて候
{子}〽︎畏て候
{シテ一セイ}《〽︎神慮。たねと社なれ哥うらの。ひくも白木の。たつか弓
{サシ}夫哥は天地開けし始より。陰陽の二神あまのちまたにゆきあひの。さよの手枕むすひ定めし。世をまなひ國を治めて。今も道ある妙文たり
{下哥}うら問せ給へや哥占とはせ給へや
{上哥}神風や伊勢のはま荻名をかへて〃。よしといふもあしと云も。同し草なりと聞物を。所は伊勢の神子なりと難波の事も問給へ人心ひけはひかる〃梓弓。伊勢や日向の事も問給へ日向の事も問給へ》
{ワキ詞}〽︎いかに申へき事の候。見申せは若き人にて渡候か。何とて白髪とはなり給ひて候そ
{シテ詞}〽︎けに〃普く人の御不審にて候。是はいせの国二見の浦の神職にて候か。我一見の為に國〃をめくる。或時俄に頓死す。又三日と申によみかへり。それよりか様の白髪とは成て候是も神の御とかめと存候ほとに。當年中に帰国すへきとおこたりを申て候
{ワキ}〽︎如何に申候。さらは哥占を引申候へし
{シテ}〽︎さむ候一番に手に當らんする短冊の哥を承候へ。はんして参らせ候へし
{ワキ}〽︎北は黄に南は青く東白。西くれなゐの染色の山。か様に候
{シテ}〽︎是は父の事を御尋候か
{ワキ}〽︎さむ候親を持て候か。所労仕て候間。生死のさかゐを尋申候
{シテ}〽︎心得申候。委はんして聞せ申候へし。夫今度の所労を尋るに。へんかい一へんの風より發つて。すいうん二りんのてうせつにあらはる。されは須弥はこんりんより長じして。十六萬由旬の粧四州常楽の波にうかひ。金銀碧瑠璃はきうかほうの影。五重色空の雲にうつる。されは須弥のかけうつるにより。南瞻部州の草木みとり也といへり。扨こそ南は青くとは讀たれ。爰に又父の恩の高き事。高山せむてうの雲も及ひ難しと見えたり。されは父は山。染色とはふうひやうのしんしき。しかも生老病死の次第をとれは。西くれなゐと讀たるは。命期りうかうの滅色にて。すこし大事の所労にて。誠に命期の道なれとも。た〃し此そめいろの山とは聲をかりたる色とりなり。文字には蘇命路なり。よみかへる命のみちと書きたれは。誠に命期のみちなれ共。又そめいろにきやくらいして。
{カ〃ル}《二たひ爰にそせいの寿命の。種と成へき哥占の言葉。頼もしく思召れ候へ》
{ワキ詞}〽︎荒うれしや。さては苦しかるましく候よなふ
{シテ詞}〽︎中〃の事御心易くおほしめし候へ
{子詞}〽︎それかしも占を引申候はむ
{シテ}やすき御事以前申候つることく。手に當らふする短冊の哥を御讀候へ
{子}鴬の卵のなかの時鳥。しやか父に似てしやか父に似す。かやうに候
{シテ}〽︎是も父の事を御尋候な
{子}〽︎さむ候
{シテ}〽︎鴬よりあふ言葉の縁あり。かいこのなかの子規といへり。是はあひたるうらにて候
{子}いやあはぬ父なれはこそ占をは引候へ
{シテ}さりとては占に偽有へからす。鴬の子は子也けり時鳥とも云り。時も卯月ほとときもあひにあへり。や。今啼は時鳥にて候ふか
{子}〽︎さん候子規にて候
{シテ}〽︎たうめむこうせつの囀り。鴬の子は子也けり。偖おことはたそ
{子}〽︎伊勢の國の者
{シテ}〽︎在所は
{子}〽︎二見の浦
{シテ}〽︎父の名字は
{子}〽︎二見の大夫わたらひの家次
{シテ}〽︎さて其父は
{子}〽︎別て今年八ヶ年
{シテ}〽︎扨〃御身のおさな名は
{子}〽︎幸菊丸と申なり
{シテ}〽︎こはそも神の引合せか。是こそ父の家次よ
{子カ〃ル}《〽︎ふしきや父にてましますかと。いはんとすれは白髪の
{シテ}〽︎身はしら雪のおも忘れ
{子}〽︎され共みれは我父の
{シテ}〽︎子は子なりけり
{子}〽︎郭公の
{上詞}程へていまそ廻りあふ。うらもあひたり親と子の。
{下}二見のうらかたの。まさしきおやこなりけるそ。実や君かすむ。こしのしら山知らねともふりにし人のゆく衛とて。四鳥のわかれ親と子に。ふたたひ逢そ不思議なる〃》
{ワキ詞}〽︎如何に申候。偖は御子息にて渡り候か。か〃るふしき成事社候はね。軈て同道あつて御帰候へきか
{シテ}〽︎さむ候神の御引あはせにて行あひ候程に。やかて伴ひ帰國せうするにて候
{ワキ}〽︎荒御名残惜や候。又𣴎票候へは。地獄の有様をくせ舞に作りて御うたひある由承候。諷有て御聞せ候へ
{シテ}安き御事にて候去なから。此謡をうたひ候へは。すこし神氣に成候。然れ共かた〃名残の一曲に。
{カ〃ル}《うつ〃なき有様見せ申さむ
{上詞次第}月のゆふへのうき雲は。〃後の世の迷ひなるへし
{打カケテ}
{道行}昨日も徒に過き。けふも空しく暮なんとす。無常の虎の声肝に銘し。雪山の鳥ないて。思ひをいたましむ
{サシ}〽︎一生は唯夢のことし。誰か百年の齢を期せん。
{下詞}萬事は皆空し。何れか常住の思ひをなさむ
{上シテ}〽︎命は水上の淡。
{詞}風に随つてめくるかことし
{上シテ}〽︎魂は籠中の鳥の
{詞}開くを待てさるに同し。消るものは二度見えす。さるものは。重て来らす
{クセ}須臾に生滅し。刹那に離散す。うらめしき哉や。釋迦大師のおんこむの教を忘れ。悲しきかなや。閻魔法王の呵責のことはをきく。名利身を扶くれとも。いまた。ほくはうの。煙をまぬかれす。恩愛心をなやませ共。誰か黄泉の責に随はさる。是かために馳走す。しよとくいくはくのりそやこれによつて追求す。所作たさいなり。しはらく目をふさいて。往事を思へは。舊友皆亡す。指を折て故人をかそふれは。親疎おほくかくれぬ。時うつり事去て。今なんそ。へうはうたらんや。人と〃まり我ゆく誰か又常ならむ
{上}〽︎三界無安猶如火宅。
{詞}天仙なをし死苦の身なり。いはんや下劣。貧賎のほうにをいてをや。なとか其罪かろからむ死にくるしひを受重ね業に悲しひなをそふる。さんつい地獄の苦しひはきうちうにて身をきる事截断して。血狼藉たり。一日の其うちに萬死万生たり。剣樹地獄の苦しひは手につるきの樹をよつれは。百節れいらくす。足に刀山ふむ時は。けむしゆ共にけすとかや。せきくはつ地獄のくるしひは。りやうかいの大石もろ〃の。罪人をくたく次の火盆地獄は。かうへに火炎をいた〃けは。はくせつの骨頭より。えん〃たる火を出す。ある時は焦热大焦熱のほのほにむせひ或時は。紅蓮大紅蓮の。氷にとちられ鉄杖かうへをくたき火燥あなうらをやく
{上シテ}〽︎飢ては鉄丸をのみ
{同}渇しては。銅汁を飲とかや。地獄の苦しひは無量なり餓鬼の。くるしひも無邊なり。畜生修羅の悲しひも。
{下}我らにいかてまさるへき。身より出せる科なれは。心の鬼の身を責めて。か様に苦をは受る也。月の夕の浮雲は後の世の迷ひなるへし
{上シテ}〽︎後の世の。やみをは何と。照すらん
{打上}
{頭當テ}
{地}〽︎胸の鏡よ心にこすな〃》
{シテ}〽︎あら悲しや唯今参りて候に。是程になとやお責あるそ。
{下}《荒悲しやあらかなしや
{ワキカ〃ル}〽︎ふしきやな又彼の人の神氣とて。面色変りさもうつ〃なきその有様
{シテ}〽︎五躰さなから苦しめて
{ワキ}〽︎白髪はみたれさか〃みの
{シテ}〽︎雪をちらせることくにて
{ワキ}〽︎天にさけひ
{シテ}〽︎地にたふれて
{上詞}かむ風の一もみもむて。〃。時しも卯の花くたしの五月雨もふるやとはかり。面には。白汗を流して袂には露のしけ玉。時ならぬあられ玉ちる。足ふみはとうとうと。
{クル}手の舞しやく拍子。うつをとは窓の雨の。ふるひわな〃き立つ居つ肝胆をくたく神のおこたり申上るとみえつるか。
{クル}神はあからせ給ひぬとて。はう〃とくるひさめて。いさやわか子ようちつれて。思ひ伊勢路のふる里に又もかへりなは二見の浦又も帰らはふたみの。うら千鳥友なひて伊勢の國へそ帰りける〃》