明暦野田本「橋弁慶」

5-218 橋弁慶

{シテ}〽︎抑是は西塔北谷の住僧。武蔵坊弁慶にて候。去子細候ひて。五条の天神に丑の時まうて仕候。今日満参にて候。いそき参らうするにて候。いかにはねたの十郎か有か　
{トモ}〽︎御前に候
{シテ}〽︎五条の天神へ参らふするにて有そ
{トモ}〽︎畏て候。如何に申候。唯今人の申候は。何物とはしらす十四五計成わつはか。小太刀を以て切て廻る。さなから蝶鳥のことくなると申候。先〃今夜の御物詣をは御とまり候へかし
{シテ}〽︎言語道断の事を申候。縦天魔鬼神なりとも。大勢中に取こめて。なとかはうたて有へきそ　
{トモ}〽︎うたむとすれはふしきにはつれ。敵を手本へよせつけす　
{シテ}〽︎たとひ敵をよせす共。すきまあらせす切てか〃らは。なとかはうたて有へきそ　
{トモ}うたむとすれはふしきにはつれ　
{シテ}〽︎おつとりこむれは　
{トモ}〽︎おつはらふ　
{シテ}手近くよれは
{トモカ〃ル}《〽︎目にもみえす
{詞}神変不思議きたい成。化生の物に行あひて。かしこふ御身きらるらん。都廣しと申せとも。是ほとのものあらし。けに奇特なる者なり》　
{シテ}〽︎さらは今夜は思ひとまらふするにて有そ去なから。昔か今に至る迄みかけと申事社あれ。弁慶程の兵の。聞に公を仕ては。人口もさすかなり。能〃物を案するに。此物討とるならは。多くの者を扶るに成へし。此夜ふけなは橋に出。化生の物を討とらむと　
{上哥}《ゆふ月はやく暮過て雲のけしきもかはりつ〃。風すさましく更る夜を。遅しと社は待居たれ〃
{ウシワカ}〽︎牛若は母の仰のおもけれは。明なは寺へのほるへし。こよひはかりの名残なれは。五条の橋に立出て。月の光詠めむと　
{一セイ}ゆふたつや。月も遅しと夜あらしに。をと吹かへせ。秋の風
{打}
{上哥詞}面しろの氣色やな。〃。そ〃ろうきたつわか心。なみも玉ちるしらゆふの。
{クル}夕皃の花の宿五条の橋の橋板を。と〃ろと〃ろとふみ鳴らし。通る人をそ待ゐたる〃》　
{シテ}〽︎既此夜も明方の。おとしにおとす大よろひ。草摺なかにさつくとき。もとよりこのむ大長刀。真中取てうちかつき。《ゆらり》〃と出たる粧ひ。
{カ〃ル}《如何成天魔鬼神なりとも。おもてをむくへき様あらしと。我身なからも物たのもしくて。手にたつかたきの恋しさよ》　
{ウシワカ}〽︎すはやうれしや人来ると。うすきぬ取て引かつき。高楼によりそひた〃すめは　
{シテ}我はかく共白波の。立ちより橋のはし板を。さもあらけなくふみならし。みれは女の姿なり。われはもとより出家なれは。思ひなそらへ過てゆく　
{ウシワカ}〽︎うしわかかれを嬲て見んと。行ちかひさまに長刀の。えをはつしと蹴上れは　
{シテ}《〽︎すはしれ者よ物見せんと
{上詞}長刀やかて取なをし。〃。いて物見せむ。手なみの程とをと切てか〃れは牛若は少もさはかすつつ立ち直つて。
{下}うす衣引のけつ〃。しつ〃と太刀ぬきはなつて。つつさ〃へたる長刀の。きつさきに太刀打あはせつめつひらいつた〃かひしか。何とかしたりけん。手もとに牛若よるとそ見えしかた〃み重ねてうつ太刀にさしもの弁慶あはせ兼て。はしけたを二三間しさつて。肝を
{地}けしたりける　
{シテ上}あら物〃しあれ程の。
{詞}〃。小性ひとりをきれはとて。手なみにいかてもらすへきと。長刀え長くおつ取のへてはしりか〃つてちやうとうては。そむけて右に飛ちかひ取なをしすそをなきはらへは。おとりあかつて足をためす。中をはらへはかうへを地につけひみつにた〃かふ大長刀。うちおとされて。ちからなくくまむとよれはきりはらふすからんとするに便なし。せんかたなくて弁慶は。きたいなる少人哉とてあきれはて〃そ立たりける　
{シテロンキ}〽︎ふしきや御身誰なれは。かほとけなけにましますそ御名をなのりおはしませ
{ウシワカ}〽︎今は何をかつ〃むへき。我は源牛若
{シテ}〽︎義朝の御子か　
{ウシワカ}〽︎偖汝は　
{シテ}〽︎西塔の武蔵弁慶なり。
{下詞}互に名乗あひ〃降参申さん御免あれ少人の御事。我は出家くらゐも氏もけなけさも。よき主なれはたのむなり。
{下}卒忽にやおほしめさるらん去なから。是また三世の機縁のはしめ。今より後は主従そと契約かたく申つ〃うす衣かつかせ奉り弁慶も長刀うちかついて九条の御所へそ参りける》