四百番本「吉水」

16-2 吉水

{ワキ詞｝か様に候者は、鎌倉殿の御内に。岡崎の何がしにて候。是に御座候は。金ぶう山の住僧、吉水の坊にて御入候。一とせ判官殿吉野を御ひらきの時。君にてう敵の人にて候程に。和泉の国かくの原にて、やす〃と生取申て候。此あかつき、ちうし申せと候程に、六条河原へといそぎ候。いかに申候。仰られ度事候はゞ、この岡崎に御物語候へ、
{シカ〃}
{一セイ子二人｝《〽小車の。めぐり〃て今ははや。おなじみちとや。いそぐらむ、》
{花菊｝〽ほどなくみやこも見え候、
{アコ王｝《〽御いそぎ候へ、
{二人上｝《〽はやほどもなく木幡山。〃。ふしみの竹田うちすぎて、音に聞えしみやこぢや。六条の辺につきにけり、〃、》
{ワキ詞｝〽おさなきものゝこゑのし候は。いかなる人ぞとたづね候へ、
{ツレ｝〽畏て候。これはいづくよりいづかたへ御座候少人にて御入候ぞ、
{花｝〽これは吉野より吉水の御弟子花ぎくあこわう、御さいごの対面にまいりて候、
{ワキ｝〽いかに申候。吉野より御弟子の花菊あこわう殿、御最後の対面に御出にて候、
{シテ｝〽いや〃これは思ひもよらぬ事にて候。其上きんぶう山におゐて。少人を見ること、ざわうのりしやうと申候。定ていつはりにてあるべく候。対面はかなふまじく候、
{ワキ｝〽そのよし申て候へば、さだめていつはりにて有べく候間。対面かなふまじきよし仰られ候。急でかへし申候へ、
{花｝〽いや〃岡崎殿の御意得にて是非ともたいめん申べく候、
{子二人｝《〽花菊あこわうは。御前さしてまいれば、
{シテ｝〽やさしのはなぎくや情ありとよ、あこわうとて。さすがにおんあいの。別れにひれふして。たもとほしえぬ御ありさまぞ、いたはしき、》
{花｝〽是は植をかれて候千本のさくら、御覧候へ、
{シテ｝《〽たばかりの、つゞみのこゑも色にめでゝ。たゞうちたまへ、をかの松原
{地｝〽よし水そのときに。かのあはれさをおもひ取。むざんやな我ゆへに、よしなき水の淡ときえて、いたづらなる身と成も。おもへばよしつねの。運のきはめとおもふべし。花菊其時に一首の歌を詠じつゝ、千本の花に付給ふ、
{上｝〽この花うたを御覧じて、いよ〃しん力を本として。本意をたつし給ふべし。はや聞給へ、御最後の八こゑのとりも告渡れば。花菊あこわうは。前後もしらずなき居たり、》
{ワキ詞｝〽御最後の時刻たゞ今なり。かくて時刻うつりなば。又岡崎が、なんなるべし。太刀とりうしろにまはりしかば、
{花｝〽花菊是を見るよりも。岡崎殿にすがりつき。しばらく御まち候へ、申度事の候、〽何事にて候ぞ、
{花｝〽さいごの酒宴すゝめ申度候、
{ワキ｝〽それはともかくもにて候、
{花｝〽これに手なれさせたる御鼓の御座候、
{ワキ｝〽片時のいとまをしんずべく候。さいごのつゞみをあそばされ候へ、
{シテ｝〽これはやさしき事を承候物かな。
{カヽル｝《師弟の契り浅からず、形見の鼓御覧ぜよ、
{シテ上｝〽本よりつゞみはたばかりの。
{同｝〃。うしろよりよし水岡崎をいだけば。かたなに手をかけ、ぬかんとするを。花菊あこわう、はしりより。手に手をひつたて、只十念とよばゝりかけて。くび打おとし。師匠のかたきをうちとつて。吉野さしてぞか●りける、〃》