三百番本「豊干」
12-5 豊干
{ワキ詞｝是は唐寒山寺より出たる僧にて候。我未天台の国しやうじを見ず候程に。唯今思ひ立国清寺へと急候
{上哥｝《月は落寒鴉こぼくに音づれて。〃。冷じかりしふうけうを夜ふかくたどり行末の。江村の漁火もほのかにて。客舩に至、山を越。朝な〃の数つもる。夕の空は物すごや、〃
{寒山｝〽面白や、花あつてかくをむかふるににたり
{拾得｝〽鳥啼て人をよぶがごとし
{二人 下｝実石上に詩を題して。りよくたいをはらふ。時とかや
{上哥｝へいじうを手にたづさへて。〃。くはらくの塵にまじはり、はくかの浪に。もすそをぬらし。万民に面をさらすも恨ならず。ほうのためなれば身を捨る。吹風の寒山とて入月に指をさしてもつとめがたきはつながぬ月日なりけりや、〃》
{ワキ詞｝〽いかに是成人〃に尋ぬべき事の候
{シテ｝〽何事にて候ぞ
{ワキ｝〽天台の国清寺とは此所を申候か
{シテ｝〽さむ候、是こそ天台の国清寺にて候へ。扨御僧はいづくより御出にて候ぞ
{ワキ｝〽是は寒山寺より出たる僧にて候
{シテ｝〽仰に付て思ひ出したる事の候。いにしへ此所に寒山拾得と申せし人の住給ひたる所也
{ワキ｝〽《実々是はしんしふうきやうのしとして
{シテ｝〽常のと（※原本濁点）に是ををすべきに非ず
{上哥｝ふしゆ又れいらくし。〃。めんぼうこすひして、はだへぎようこつとおとろへ。ある時は。ちくはひをかぶりとし。又ある時はおほひなる
{上｝もくげきをはきてふうきやうの。姿と見れど心は仏りにきする人とかや、〃》
{ワキ｝〽いかに申候
{シテ｝〽何事にて候ぞ
{ワキ｝〽豊干禅師の住給ひたる旧院はいづくの程にて候ぞ
{シテ｝〽ぶかん禅師の旧院は経蔵のうしろにて候。今はげきとして人なし、去ながら。こたなへ渡り候へ教申さう。是こそ豊干禅師の旧院にて候へ
{ワキ｝〽近比承及たるよりもいやまさりて候。猶々豊干禅師寒山拾得のいはれ御物語候へ
{クリ同｝《さても彼豊干禅師と申は。天台の国清寺にきす。かみをきつて眉にひとし。ふぎう又かたちを見ず
{サシ｝〽人有てしや（借）もん（問）すれば。ずい（随）じ（時）の二字をこたへてた（他）のご（語）なし
{下同｝たの（楽）しんでひと（独）りこゝうをすへぎ。則さひすむに是 をそう
{シテ 下｝〽かつて虎に乗じてしよ（松 ※「諸」の誤刻）もん（門）に入ぬれば
{同｝各しゆ（衆）そう（僧）きやう（驚）く（懼）する
{クセ下｝有時豊干たま〃。さん（山）かう（行）せしに、ふしぎやな。児のなく聲を聞しかば。立よりて委たむ（端）けい（倪）をとふに、しや（舎）なふして。こ（孤）なりとこたへ申せば。誠に哀をもよほし、ひろ（拾）いえ（得）たりと心得、拾得とかれを名付て豊干さま〃゛養い く（育）す
{上｝〽かゝりける処に。
{同｝いづくより来りけん。拾得のごとくなる寒山といへるどう（童）じ（子）来り。常にゆう（遊）らく（楽）のたはぶ（戯）れの。浅からざりし有様は。かつか（呵々）大笑してげん（言）きよ（語）も更に常ならず》
{シテ｝〽有時りよきうといつし人、豊干に向。今国清にけんたくの輩有もやと問給へば。
{中｝《寒山は文殊也。拾得は普賢也とこたふ
{地｝〽りよきう此時驚さはぎ。しゆゆにだうにいつて是を礼す
{下曲｝寒山拾得は。何故に今更。我をば礼し給ふぞと。とうに、りよきうは豊干のをしへかくぞと語ば
{上｝〽二人此時驚て。にうせんの豊干こそ即弥陀の化現よと。いひ捨て、かんがむいうくつの内に入にけり。まことは我はいにしへの寒山拾得ようたがふなと。いふかと見ればかんがんせきこんは雲と立のぼり。ぬいめの内に入にけり、〃
{上哥｝〽苔の筵に法をのべ。〃。有つる告をまたんとて。袖をかたしきふしにけり、〃
{後｝〽一聲の山鳥曙雲の外。とらかうくしてせうもんにいる》
{色｝いかに沙門。汝たつとき故により。忽夢中に豊干向顔をなす。同じく寒山拾得
{中 カヽル｝《せしやうのしんたる事をしらせんが為に。石のぬいめをとくのりの。佛躰をあらはし給ふべし
{下ウン上？｝〽石に精有。水に音有
{シテ｝〽虎うそぶけば。風は大虚にわたる
{地｝〽かたちせんせつたるせきくつふたつにわるれば普賢文殊顕給ふぞ有難き
{ワキ｝〽有難やまのあたりなる御姿を。拝することのたつとさよと。たな心をあはせ如我昔所願。今在已満足
{上｝其時豊干こしやうより。〃。静に折立菩薩に向。迚姿をあらはすうへは。ほうをんみめうの舞楽をなさんと、きんしつしようこびは琴わごん。笙ひちりりき虚空に舞楽を奏しけり
{上同｝舞楽も今は時過て。〃。有明方のつきぬ名残。しらむは東の山かづら。かゝる奇特は此寺の。仏法王法がらん長久、五穀成就の其誓願を夢中に見せて。普賢文殊はにかむにあがり。豊干は忽弥陀と現じ。西方遙の雲に乗じ。飛行自在をあらはし給へば、菩薩も獅子象にのりの姿。如来も金色の光をはなつて。紫雲のうちにぞ入にける》