三百番本「長卿寺」
14-5 長卿寺
{僧詞}是は陸奥九（コヽ）のへいに。長卿寺と申寺の住僧にて候。扨も當寺の檀那。南都の何がしと申人。大がうの人にて候ひしが。此度くはうせんのかうしよくのがれがたく。やまふの床にてあへなくむなしく成給ひて候。其ゆいごんに。我度々の合戦に高名せし重代の太刀をそへて。池にしづめよとの御事にて候間。ゆいげんに任せ、水さうにをこなひ申て候。今日彼人の命日にて候程に。別而法事を取をこなひ申さばやと存候、
{サシ｝《扨も亡者のとぶらひに。法事は様々多けれ共。諸経中王最第一と聞時は。法花にすぎたる事あらじ、
{上同｝此妙典のくりきにて。〃。はやくまよひをはなれつゝ、仏果をえしめ給へと。夕の月も諸共に、法の光やさそふらん、〃》、
{シカ〃｝、
{能力｝〽いかに申候、
{ソウ｝〽何事ぞ、
{能力｝〽ふしぎ成事の候。此寺の沙弥すいゑき俄に狂乱仕候て。きどく成事を申候。われはなんぶの何がしがつきそひてある。何とて重代の太刀をば池に入候はぬぞ。余の太刀を池にしづめて候間。是非に重代の太刀を池に入てくれよと申て。以外に狂乱仕候、
{僧｝〽是はふしぎ成事を申物かな。すいゑきはいづくに有ぞ、
{能｝〽是へひつ立てまいりて候、
{僧｝〽実是は以外狂乱して候はいかに。かやうの事南部殿の御子息。氏春に語申共。誠しからず思召候はんずる間。汝罷越てふしぎなる御事御座候間。急御出あれと氏春に申候へ、
{能｝〽畏て候。いかに案内申候、
{ナンブ｝〽案内とはいか成人ぞ、
{ノウ｝〽いや某が参りて候。長卿寺よりの御使にて候、
{南｝〽何と申御使ぞ、〽さん候、ふしぎ成御事御座候間。急御出あれとの御使にて候、
{南｝〽何とふしぎなる御事の候へば、急参れよと仰候か、〽さん候、
{ナン｝〽今日は御使候はず共。親にて候者の命日に相当候程に。さんじ候て焼香仕るべき心中にて候処に。急参との御事にて候はゞ心得申候。頓而さむぜうするにて候、
{能力｝〽畏て候、さらばやがて御供仕候べし、
{ナン｝〽心得申候、
{ノウ｝〽いかに申候。氏春の是へ御出にて候、
{ソウ｝〽や。氏春の御入と申か。こなたへ御出候へ、
{ナン｝〽畏て候。今日は親にて候者の命日に相当り候間。めされずとても参じ。せうかう仕べき心中にて候処に。ふしぎ成事の候間、急で参れとの御使にて候は。いかやう成御事にて候ぞ、
{僧｝〽其御事にて候。仰のごとく先今日は御親父の。御命日にて候間。別而法事を取をこなひ申て候。又ふしぎなる事と申候は。此寺の沙弥すいゑきと申者。俄に狂乱仕て候程に。いかなる事ぞと尋候へば。御親父なんぶ殿のつきそひ給ひたる由を申候て。色々きどく成事を申候程に。扨御出あれと申候、
{ナン｝〽是はふしぎなる事を仰候物哉。扨其すいゑきは何くに候ぞ、
{ソウ｝〽是に候。頓而御目にかけうずるにて候。いかに能力。すい益をつれて参り候へ、
{ノウ｝〽畏て候、
{ソウ｝〽御覧候へ、此者にて候、
{ナン｝〽実是は以外の狂乱と見えて候、
{ソウ｝〽急で子細を御尋あらふずるにて候、
{ナン｝〽心得申候。いかにすい益。おことにはいか成者のつきそひて有ぞ、
{スイ｝〽其事にて候。是はなんぶの何がしがつきそひ申て候、
{ナン｝〽言語道断、扨はなんぶ殿の立寄給ひて候や。扨何の為に唯今は御出候ぞ。懇に御物語候へ、
{スイ｝〽さん候、さらば委かたり候べし。扨も我ゆいげんのごとく。太刀をそへて水さうにはをこなひ候へ共。我申つる重代の太刀にてはなし、余の太刀也、されば我因果により。大蛇となる。又爰に第一のくげむ有。あれに見えたる岩木がたけにすむ大天狗来つて。たゝかふ事度々也。然共我重代の太刀にてなきにより。打まくる事数度に及べり。今夜又彼たゝかひあるべければ。ひたすらにわが望む太刀を池に入てくれよと。子にて候者に懇に仰られ候へ。しからば子孫をも守り。同じく長卿寺の守護神とならふずるにて候、
{ソウ｝〽懇に承候。かゝるふしぎ成事こそ候はね。あらいたはしや候。御心安く思召れ候へ。則仰の道を御子息氏春の是に御座候間。委申彼太刀を池に沈めて参らせ候べし。又御跡をもねん比にとぶらひ候べし、
{スイ｝〽やあ。又唯今爰に立寄たる者をば誰とか思ふ、
{ソウ｝〽又是は気色かはつて候、
{ナン｝〽実是は又余の者の立寄て見えて候、
{スイ｝〽いかに面々、慥に聞候へ。是こそあの岩木がたけにすむ大天狗よ。我前生のむくひにより。南部は大蛇と成に。某たゝかふ事度々なり。しかれば彼重代の太刀を池に入るならば。たちまち我打まけ利をうしなふべし。かまへてかの重代を池にしづめ給ふな。太刀を池に入たまはずは、則守りの神とならふずるにて候、
{ソウ｝〽是は奇特成事共にて候、
{ナン｝〽実々ふしぎ成事共にて候。先々沙弥をば片原へつれて行候へ、
{シカ〃｝、
{ソウ｝〽扨々是は何とあらふずる御事にて候ぞ、
{ナン｝〽仰のごとく奇特なる事共にて候。此上は何をかかくし申べき重代の太刀をば。それがし戦場にをゐて。高名仕候はんずる為残し置。余の太刀を池にしづめ候ひしが。扨は其太刀にてなきによつて、うちまくる事にて候はゞ。たとひ大天狗しやうげをなし候共くるしからぬ事。此上はかの太刀を池にしづめて。まうじやの望をかなへばやと存候、
{ソウ｝〽実々是は尤にて候。さらば彼太刀をめしよせられ候へ、
{ナン｝〽心得申候。御覧候へ、此太刀の事にて候。ふしぎ成仕立にて候へ共。子細あつてそれがしも。一度高名仕り候はん為に残置候へ共。力なき事此太刀を池にしづめ。親のけうやうにをこなはばやと存候、
{ソウ｝〽尤の御事にて候。誠に孝行なる御志有難存候、
{ナン｝〽さらば是をもつて池の辺へ御供申候べし、
{ソウ｝〽心得申候、
{ナン｝〽実我ながらおぼつかなき。人の言葉と思へ共。其たらちねのなつかしさに。
{カヽル}《池の辺に立寄て、〽帰らぬ水のあはれ世に、〽きえにし人の、〽面影は
{上同｝浪の立居のわすられぬ。〃。名残もさぞな玉ぼこの。露もなみだもとゞまらず。なき人こふる秋のくれ、いとゞ思ひをうちそへ。たれ松虫の音にたてゝ。声も数あるとぶらひも。深きや水のくもりなき。水をうつすやいばのつるぎをこそはしづめけれ、〃、
{上｝〽けうまんしんゐの心をあくふんぬの姿なり。扨も両せいたたかひの其数々に。及といへども今宵かぎりのれうせんなれば。たがひに其ちけんくはうなるべし。合力勢は誰々ぞ、〽先第一に七天狗、
{上同｝
{ノル太コ｝白山りうさん富士浅間。〃。大峯かつらぎひえひらの。くらま高雄に愛宕山。大せんひこ山しろみねに。むれいる天狗けんぞくとう。残らず爰にはせあつまつて、池水のほとりにをしよする、
{上同｝月水上にくまもなく、〃。水のあやめもさだかなるに。はらふみぎりを雲をうがつて、あたりをはらつて見えたりけり、
{上同｝されども飛行のいきほひなれば。〃。数万のまぐんはつばさをそろへ池水を。あふぎたて打物をふりあげけしあひのそこもうごけと、天地をうごかしせめたりけり、
{上蛇｝〽まぐんの飛行おそれなし。きうごのくらゐにいたる時は。ひれうもすなはちらんにあり、
{上同｝此時風波は立わかれ。〃。あらはれ出たる大蛇のいきほひ。又はかゞやくつるぎの光も、あたりをはらつてかゝりければ、たちまちつるぎはたいあとげんじて。まゑんの上に。しやぢくのごとくに。ふりかゝり、〃、まけいしゆら道もかくやとばかり。せめかけせめかけかゝりければ。かしこへばつとぞひき立ける、
{上同｝大天狗は打物かざし。〃、毒蛇にむかひたゝかひけれども、つるぎのせめに。通力をうしなひ、こくうにあがると見えつるが。はるかの峯に、又飛さがり。しんゐのいまうはけんたんせずと。ゆふ浪も立さはぐ。大蛇のいきほひ。そのたけ天地によこたはり。池水をまきあげ又まきさがれば、大天狗は。雲をうがち。両精いづれも威光をあらはし、けんこんにとうじて失にけり》