五百番本「湛海」

08-2堪海

{ワキ}〽抑是は堀川に居住仕る。鬼一法眼とは我事也。扨も古左馬頭義朝の八男に。沙那王殿と申は。某師弟の契約仕候。聊の子細候間。ひそかに討て捨ばやと存候。然れども兵法すぐれ給ひ。難叶候程に。聟にて候堪海。彼は器量第一のものにて候間。かれを憑討せばやと存候。いかに誰か有、〽御前候、
{ワキ}〽汝は北白河堪海坊へ参り。御出あれと申候へ、〽畏て候、
{ハシガヽリニテ名ノル、シヤモンバウシ、太刀}
{シテ}〽か様に候者は。北白河に住居する。長谷部の堪海にて候。鬼一法眼の方より。参ずべきよし申来候間只今堀川へと急候。いかに堪海が参たるよし御申候へ、
{ワキ}〽堪海の御出とや。人迄も有まじ此方へ御入候へ、
{シテ｝〽扨只今は何の為の御使にて候ぞ
{ワキ}〽さん候唯今申入候事余の儀にあらず。内々申ごとく沙那王殿。某が秘蔵の兵法の一巻を盗とり候ほどに彼を討取巻物をもうばひ返さばやと存候。誰々と申共貴方ならで沙那王を討べき仁は覚えず候、討て給り候へ、
{シテ}〽言語道断。此上は某が手に懸討取候べし。御心易思召れ候へ、
{ワキ}〽寔に憑もしき御事にて候更ば沙那王をすかし出し。五条の天神へつかはし申候べし。御身も跡より御忍び有て。あれにて討て給り候へ、
{シテ}〽実此上はともかくも。片時も急ぎ申べし、
{カヘシヨリカルクツヨク}
{上}《御心易く思召也、
{上同}〃。さらばよ鬼一これ迄ぞ。かのわつぱをうたずんば此後御目に懸るまじ。我手にかけんはあんの内手取にせんと荒言し。座敷を立て堪海は帰る心ぞ恐しき、〃、
{早ツミ（ママ）中入}
{ウシ}〽扨も沙那王は。師匠の仰に随ひて五条の天神へ参らんと、
{上同}夕㒵の花の宿。〃。五条辺のあばら屋の。其跡とへば黄昏に。よ所目はせじな一すぢに。憑むちかひのすえ清き天満神に詣でけり、〃、
{テウハンヅキン直面}
{シテ一セイ}〽待ほどは。苦しきものかほとゝぎす。一声急げあかつきの空、
{上}去ば堪海が其夜の出立は。黒糸威のはら巻に。白柄の長刀うちかたげ。沙那王遅しと待居たり、
{ウシ上}〽かくともしらで御ざうしは神前を拝し奉り。立帰らんとせし処に》、
{シテ}〽堪海早くも見付つゝ。
{カケリ}
{上｝《すはや是ぞと近付より》。
{詞}いかに沙那わうどの。夜陰の帰さの覚束なさに。御迎に堪海参りたりと、《さもあらけなく申けり》、
{ウシ}〽荒おもひよらずや。堪海に意趣なき事は明らか成。星の光りに能みれば。物冷じき有様なり。扨は鬼一の下知に随ひ。某が討手に向ひしよな。いかに堪海御身いか成意趣有て。我を討んとおもふぞや、
{シテ}〽荒こと〃゛しや意趣迄もなし。尋常に勝負あれ。日比の荒言只今《成ぞと、
{上同}長刀頓而とりなをし、〃。無暫や小冠者あらしとなさんと躍りあがつて切払ふ。本より沙那王さはがばこそ日比習ひし秘術は今社爰に。顕しぎぬの。飛鳥のかけりさそくをつかひて切給へば。堪海も大長刀を。水車に廻して懸れば。丁々と透まを切。さばかりたけき堪海も御ざうしの小太刀に切たてられあきれはてゝぞ立たりける、
{シテ上}〽さてもむねんの次第と。はしりかゝつてつけばはづし。うてば飛。のすれば乗て手もとによる。しさつてはらへば。とびあがり飛行自在にたゝかひ給へば。今は堪海勢力尽て。憑む長刀うちおとされ。くまんとすれば切払ふ。かげろふ稲づますがたをうしなひたゞよふ所を首打落し。悦びいさみ牛若、〃はくらまへ帰らせたまひけり》