五百番本「太平楽」

02-1　太平楽

{次第｝《松は百代の緑にて。〃、十返りの色ぞ久しき》　
{ワキ｝〽抑是は後一条院に仕へ奉る為兼とは我事なり。扨も君より常に哥の題を下され。愚詠を捧げ申候。此度は扇のねことある難題を給り。様々思案仕候え共。思ひ寄難く候間。和哥の御守り住吉に参り此事祈誓申さばやと存候　
{上サシ｝《行末遠き旅なれと。月の都は名残ある。夕の色は青葉なるに。松をも染る日影哉　
{上｝爰は物かは草枕。〃。秋のね覚の旅の空。月の桂の川舟の流れと共に棹さして。難波の寺の入相を聞に心も住吉の宮居にはやく着にけり〃
{一セイ二人上｝〽住吉の。濱松が枝の手向草。神もさび敷。恵み哉　
{ツレ二句｝〽風のやどする松の葉は。
{二人｝煙も薄き嵐かな　
{サシ上｝是は此浦里に住馴て。明暮松の落葉をかき。浮世を渡る海人なり　
{二人上｝実や心なき浦山賤の習ひとて。遅々たる春の永き日は。汀に出てもしほを汲。胶胶たる月の夜すがらは。旦暮に松の落葉をかき。うき世の業をいとなむなり　
{下｝いざ〃落葉かこふよ松のおち葉をかこふよ　
{上｝時雨する松の嵐の一通。〃。下枝の落葉降つもる濱の真砂をかかふよ。所がらとて住吉の。松の落葉をかくときは嵐につるゝさらへかな〃》　
{ワキ｝〽我此所に通夜し。また有明の月共に。松の木の間を見渡せば。人数多夜すがら松の落葉をかき候は。何と申たる事にて候ぞ
{シテ｝〽さん候あすの薪に嵐吹。松の落葉をかき集候　
{ワキ｝〽扨は心なく共月をば見るらめ　
{シテ｝〽賤身にも月かげにめでゝ。いねもせず心ならず松の葉をよせ候　
{ワキ｝〽実々誮敷云事かな月見ん為にかく松の葉。心有けるこたへかな
{シテ｝〽我らを心有者とやそなたこそ心有かほなれ　
{ツレ｝〽《さすが我朝におゐて名所の。高砂住の江の松も相生に　
{二人｝此年月までも住吉に。住馴し者を情なく。たゞ大方の心なき　
{上同｝浦人とおぼし召るゝか。御誤りや名所の海士なりと余りげに御いやしみな候ひそ　
{上同｝所は住吉の。〃。宮居も時に勝れて。恵みも厚く秋津洲の。和哥のうらや淡路がた。岩根の苔筵げに敷嶋の神風も音に聞えし名所哉〃》
{ワキ｝〽いかに老人　
{シテ｝〽何事にて候ぞ
{ワキ｝〽我は大君に仕へ奉る為包（ママ）と申者なるが。今度君より扇のねこと云難題を下され。色々方便をめぐらせども思ひ寄邊なく。それ故當社に参籠申て候よ　
{シテ｝〽扨祈誓の験ばし御座候か　
{ワキ｝〽いや御告もなくて先都に帰り候　
{シテ｝〽和哥の事當社に祈る人の。叶はで過る事はなし　
{ツレ｝〽《凡此宮居は。敷嶋を守りの神にて。渚の波や松の聲　
{シテ｝〽何れも哥の詞なり。心をよせてきゝ給へ　
{ツレ｝〽我らは月のいらぬ間に。松葉よせんと立出る　
{ワキ｝〽実面白し老人よ。有明ならぬ宵月夜に。松の葉かきて月いらば。かへさおぐらき木のもとの》　
{シテ詞｝〽否其比も松陰に傾く月と諸共に　
{上｝《おほ木のねこそ枕なれ》
{ワキ｝〽不思義なりとよ老人の。
{上｝《おふぎのねこそと云つるは》　
{シテ｝〽祈らせ給ふ扇のねこと。つゞくる詞はそへ哥の　
{ワキ｝〽《為兼頓て言の葉の斯もやあらん聞給へ　
{下｝三吉野ゝおく見る花の旅ねには
{シテ下｝〽おほ木の根こそ。枕なりけれ　
{上同｝ヶ様に安き言の葉を。〃、教への神のなかりせば。誰かはさして夕風の。松の葉かきの口号み。芦邊の田鶴も和哥の友。つゝみは果じ我こそは。住吉の翁なれ。あれは神宮皇后。哥を守らん為兼がいぶかしき心明らかに月の夜神楽を奏しなば。重てまみえ申さんと。夕の風を松の葉のかき消様に失にけり〃》
{中入｝
{サガリハ｝
{上同｝千早振。〃。例久敷松千年。和哥を守りの宮所の君をいざやはやさん此君をいざや囃さん　
{シテ上｝〽桑の弓。
{同上｝〃。蓬の八嶋治りて。慈悲を四方に施し。邪を亡し正直の。方便を廻して太平楽になさふよ〃
{シテ上カヽル｝〽面白や。年は津守の浦なれど。住吉なれば老もせず　
{上同｝浪こゝもとによる〃は　
{シテ｝〽心の澄を御覧ぜよ　
{上同｝荒面白や松陰に。〃。もりくる月の澄わたり。千代万代の神哥諷ひ太平楽を奏しけり、
{ガク｝
{シテノル｝〽昔住吉神宮皇后　
{下同｝〃は異狄退治に趣たまひ。鉾をひつさげ歒に向ひ給ひければ。順風は矢さきに先だち白浪は岩に。遮りつゝ帰も引も。神通自在に満干の玉の数万の狄を随がへしより治る御代と成にけり。扨こそ。住吉四所の明神夫婦と現じ敷嶋を守りの神と顕れ給ふ〃も異狄治めし謂れとかや》