三百番本「獅子」

01-5 獅子

{次第}《九重出る旅衣。〃。八重の塩路にいそがん》、
{ワキ詞}〽是は都方にすまゐする者にて候。我未丹後国くせの戸の文殊に参ず候間。唯今丹後国に急候、
{上道行}《明ぼのに、出し都の月もはや。〃。いる野の末やたにはしの。ほづの山寺余所に見て、雲路に遠きよさの海。すゑの名どころ今よそに。見えぬ里とやしら糸の。浜風渡はしたてや。はやくせの戸に着にけり、〃、
{一セイ}〽引汐に、流ても行釣船の。月のいるさや。とをひがた、
{サシ}夢にてうつるに夜更ぬらん、かとうの月。跡を尋ぬるに春くれぬ。たゞ山辺のこゑのみそらにはしたての。名もたぐひなき名所哉。あら面白のけしき哉》、
{ワキ詞}〽如何に是成釣人に申べき事の候。こゝは皆文殊の浄土にて候か。何とて釣を御たれ候ぞ、
{シテ}〽何釣をたれ候が不審成と候や、
{ワキ}〽さん候、不審に存候、
{シテ}〽我が有様は古への。けんせうぞう、たいこうばうがこそうをまなべり。いづくか仏の浄土にてなからん。爰は釣をば何とてせかせ給ふぞ、
{ワキ}〽げにいはれたり釣人よ。我等はじめて参詣の者。つれて御室に参給へ、
{シテ}〽いとまおしうは候へ共。今始ての御事なれば。こなたへいらせたまへとて、
{ワキ}〽《あまのはし立はる〃゛と、〽ともなひ行は海上の。すぐなる道にはし立の、
{シテ}〽松はらんこき葉をつらね、
{上同}影はさながらさうりうの。〃。波風ともに吹たてゝ、花を見せたるみぎはかな。次第〃に松原の。嵐にはれて夕月の。影澄渡はし立や、御堂にはやく着にけり、〃》、
{ワキ}〽いかに申候。何と見申せ共此文殊は。獅子にはめされ候はぬが、いはればし候か、
{シテ}〽其事にて候。うてむ王何とかはなし。文殊のげきりむなのめならず。しばらくしゝげんじやうの時、
{上同}《またせたまへとゆふあらし。〃。松の葉ずゑを吹たてゝ、月はなぎさによる浪の。いとまおしさらばと立帰るとみをくれば。よのつねならずこの尉は。神や仏の霊夢ぞと。覚てうつゝと成にけり、〃、
{上}〽獅子さうゑんにはなれてたづぬれ共みえず。いづくにあるらんとおもひ。一天下を見れどもなし。さては獅子天竺に行たらんとて。ぎんがのながれにつきてやう〃たづね行ば。牡丹せんだむの花ざかり。さながら花もなみのこずゑに見え。緑樹陰しづむで魚木にのぼる。うをかとおもへばたづぬる獅子のかげが水にうつりたるはいかに。うてん王はあるとはしらで、
{上同}獅子は洞より遊び出たり、
{上}〽うてん王はあるとはしらで
{同}獅子は洞より遊び出て。牡丹栴檀万の花に。遊びたはぶれ水にのぞんで影を友かと水鏡。ねらひよれ共しらざりけり、
{下}〽洞より獅子をつなぎいだし、
{下同}〃。此程主にはなれ獅子の。縄に驚きひつたて行ば、うてん王に。をのれは〃としかられて。をしつそなれつあひにし獅子の。もぎつてゆくを。ひかれて五丈の綱を手にくりからまきゑひやと引かへして、文殊の浄土にまいりけり》