三百番本「樒天狗」

13-4 樒天狗

{次第}《しきみが原の道分て。〃、あたごの山に参らん》
{ワキ｝〽本山三熊野の山伏にて候。我未愛宕山樒が原に分入ず候程に。只今思ひ立て候
{上哥｝《西山や嵯峨野の嵐音寒き。〃、音も小倉の巌つゞき行ゑをさして行程に。其名も高き愛宕山。樒が原に着にけり、〃》
{詞｝あらせうしや、俄に雪降来りて候。はらさばやと存候
{一セイシテ｝〽《あたご山。しきみが原の雪の中に。はなつみそふる。たもとかな
{サシ｝かんりんに骨をくだき、れいきなく〃前生の業をうらむ。しんやに花をくうずる天人。返々もきしやうのぜんをよろこばん。》
{詞｝いつものごとく山に入。樒を手折ばやと思ひ候
{ワキ｝〽我等ごときの行人だにも。物冷しきあたご山に。しかも女性の御身として。花つみ給ふは不審也
{シテ｝〽夫後の世をなげく心ざし。男女の上下によるべきか。佛の為の花なれば。山に入しきみを手折事は。何の不審の候べき
{ワキ｝〽いや花摘給ふ事に不審はなけれども。そのさまけだかき女性の御身として。御供の人をもともなひ給はで。此山中に只一人。花摘給ふは不審也。御名を名乗給ふべし
{シテ｝〽そも何と見給へるさまなれば。我を貴人と御覧ずらん。是につけても昔の人は。能々つらねをきたるぞや
{下カヽル｝《なき名のみ高雄の山といひたつる。人はあたごの巌にすむらん
{下同｝此哥のごとくに人がましくもいひたつる。人ぞ中〃我為は。あたごの山ぶしよ、しらぬことなの給ひそ
{上同｝何事も、いはじやきかじ白雪の。〃、道行ぶりのうす衣。白妙の袖なれや。しきみが原に降雪の、花をいざやつまふよ。夕日かげろふ紅の。末摘花は是かや、春もまたきなば都には。野辺の若菜摘べしや、〃》
{ワキ詞｝〽ふしぎやな夜に成迄此山中に只一人。花摘給ふは不審なり。いかさまけしやうの人なるべし
{シテ｝〽今は何をかつゝむべき。我は六条の宮す所成が。我一天の虚空として。美女のほまれ慢心と成。又一乗妙経をへんじもをこたる事なければ。是又かへつてまむしんとなり。二の心のさはりゆへ。まだうに落て天狗にとられ。このあたご山をすみかと《せり
{上同｝すはまた時も来るは。〃。雲の波山のなみの。立くるよそほひあたごの山の天狗に。とられてうせし六条の。みやす所といはれしが。身はやすからぬまだうのくげむ御覧ぜよ、〃
{後渡拍子｝〽見わたせば。〃。四方の空もはれやかに。飛行や雲車の、めぐる空も面白やな、〃。名にしおふ、〃。あたごの山の太郎坊。ひら野ゝたけの次郎坊。名高きひえの大たけ。よ川の杉村。ひらのみなとの流松の。嵐も立帰り、〃て。爰は花の都の六条の院と申も。御身の古郷成ものを。爰に車をたてをきてしばしはやすみ給へや
{上カヽル｝〽うらめしのわが身やな。いか成罪のむくひにか。かゝるまだうにをちこちの。山路にいつ迄まよふべき》
{天狗｝〽何をかなげかせ給ふらん。御身より出るまんしんなれば。心からとは思しめされずや。はや〃くるひ給へとよ
{カヽル｝〽《悲しや〃くるへとは。また其時の来れるか》
{詞｝〽今にはじめぬ御くるしび。一日に三どのゑじきとて。ねつてつのかなゆ、ねつてつの丸かせ〽《ふくせんとすれば、ほのほとなつて〽御身をやけばいたはしや〽さけばんとすれば声出ず〽しむ〃忽ほのほと成て〽五たいさながら〽大ぐれんの
{上同｝烟の中にたえ〃゛と。かたちはさながら炭竈の。おき火と成給ふ、あらさてこりの姿や。せう天狗立よりて。〃。おき火となれる御身をなづれば。又人のかたちとなつて。たま〃。生ある姿と成を。大天狗たちよりて。御ぐしを手にからまひて一打二打打と見えしが。みぢんのごとくに打くだきて。嵐に散行木の葉のごとく。ばつとちると見えつるが。虚空にことふの声有て。どつとわらふと聞えしが。有つるあたごのしきみが原に。かげのごとくにみやす所、かげのごとくにみやす所は夢まぼろしとぞ成にける》