四百番本「九世戸」

14-1　九世戸

{大臣次第｝《風も涼しき旅衣。〃、朝立道ぞはるけき》、
{ワキ詞｝〽抑是は当今に仕へ奉る臣下也。扨も丹後国九世の戸は。神代の古跡にて。忝も天竺五台山の文殊を勧請の地なり。殊に林鐘半のゑしきにて御座候程に。只今参詣仕候。
{上歌｝《たむばぢのすゑはる〃゛と思ひたつ。〃、旅の衣の日もいくか行野ゝ道の程とをく。まだふみもみぬはし立や。はや九世の戸に着にけり、〃》、
{詞｝日を重て急候程に。ほどなふ九世の戸に着て候。都にて承及て候よりも。天橋立はる〃と。誠に妙なる詠にて候。猶々心静にながめばやと思ひ候、
{一セイシテ｝〽《浦風も。涼しさそへて追手とや。浪路はるかに。出るなり、
{二句ツレ｝〽あまのみるめもいさみある。詠め妙なる。気色哉、
{サシ｝〽所からくもらぬ空もよさの海の。天のはしだてはる〃゛と。影踏道に行かふ人も。けふのまつりの時を得て。夏みな月の半行。舟の渡りの隙もなき。貴賤群集ぞ。有がたき、
{下歌｝世わたるわざはおしめどもいざや歩をはこばむ、
{上歌｝神の代のむかしがたりを思ひでの。〃、月日くもらぬあまつかみ。地神ふた世をかぞへきて爰九世の戸の名も高き。大しやう文殊を勧請の。御影あらたにさゝぐなる。法のともし火くもりなく。照すちかひはたのもしや、〃》、
{ワキ詞｝〽いかに是なる老人に尋ぬべき事の候、
{シテ｝〽此方の事にて候か何事を御尋候ぞ、
{ワキ｝〽是は都よりはじめて参詣の者なり。先此所を九世の戸と名付初しいはれ。くはしくかたり給ふべし、
{シテ｝〽我等いやしき漁人なれば。いかでかぞんじ申べき去ながら。先九世の戸と名付候事。忝も天神七代地神二代の御神。此国に天降り。爰にて天竺五台山の文殊を勧請し給へば。天の七代地の二代を是九世の戸と名付し也、
{ツレカヽル｝〽《されば菩薩のさう躰も。是帝尺の御作とかや》、
{シテ｝〽其後龍宮に入給ひ。法をひろめてほどもなく。又此嶋にあがり給ふ、
{カヽル｝〽《則獅子のわたりとて。今に絶せぬ跡とめて》、
{シテ｝〽龍神御灯をさゝぐれば、
{ツレ｝〽《天より天人あまくだり、天のともし火龍神の御灯。此松が枝に光りをならべ。かつがうの時節今宵也。有がたかりける時節也、
{ワキカヽル｝〽扨は神代の昔より。今にたえせず此松に。さゝぐる御灯をまのあたり。おがまん事ぞ有がたき、
{シテカヽル｝〽中〃の事御覧ぜよ。出くる月もくもりなき、
{上歌同｝天のはし立光そふ。〃、都の人も浦人も。語ればおもふ事なくて。四方の詠めもおもしろや。松風も音しげく。立くる浪も白妙の。月澄のぼる気色かな、〃、
{上同｝夫地神二代の御神。初てこゝにあまくだり。末世の衆生さいどの為に。れいざうを勧請したまへり、
{サシ｝〽去ば此地かいびやくの昔。はや神国とあらかねの。きゝうの祭り品々の。衆生さいどの方便。しやうしのさうを助けんとて。三世かくもの大しやう文殊を。此嶋にあんちし給ひけり、
{クセ｝此橋立をつくらんと。やくだく有し其時は神の代いまだ遠からず。雲霧虚空にみち〃てとこやみのごとくなりしかば。各しんくはをともして。日夜に土をはこびて同じく松を植給ふ。其ともし火のあまりをかしこにをかせ給ひしより。火置の嶋とて是も故有神所也、
{上｝〽かくて神々あつまりて。天竺五台山の文殊を勧請し給へば。上はうちやうの雲を分。下はげかいの龍神音楽種々の花ふり。御とうをさゝげ奉る。其影向の有様かたるもをろかなりけり、
{上地ロンギ｝実有がたき神の代の。〃、むかしがたりも今の世に。残るともし火くもりなき御影を松の木陰哉、
{シテ｝〽短か夜の。空も更行浦風の。音をしづめて待給へ。かならず御とうあらはれん、
{地｝〽うれしやさてもかくばかり。くはしくかたる浦人の其名をなのりたまへや、
{シテ｝〽今はなにをかつゝむべき。我はしらずや此寺の、
{上同｝大聖文殊の御前なる。さいしやう老人は我なり。御身しん〃清浄の。心をかむじ来りけりと。云捨て其姿。松の木陰に失にけり、〃、
{一セイ地｝〽久堅の。雲井に渡る橋だては。天津み空のみはしかな、
{上歌同｝月も更行あまの原。〃、しうんたなびきいきやうくむじ。天津乙女の雲のは袖。光もたへなる御燈を捧げ。松の木末にあまくだり。あまくだる。かゝりければ龍宮より。さゝぐる御燈のひかり。海上にうかんで見えたる粧ひ。あらたなりける出現かな、
{シテ｝〽ほんくはうあまねき燈の龍宮の内裏を。てらすなり、
{上地｝〽空には日月とうみやうぶつ。〃、
{シテ｝〽又下界には龍神のともし火、
{上同｝〽うしほにゆられ浮しづめども。ひかりはいとゞかゞやきありて。天地のりうとうひとつになりあひ。九世の戸の明方めい〃たり、
{下シテ｝〽もとより龍神は飛行自在に、
{同｝〃。通力変満の奇特を見せんと。平地にはらんをおこしつゝ。海山虚空に飛かけつて。あらしをけたて。雨をおこして吹くもり〃震動すれ共御灯の光はあきらかに。猶すみのぼるや天津乙女の。姿も雲井に入せ給へば又龍神は。浪をけたて。さかまくうしほのめぐるとともに。〃、ひかれて波にぞ入にける》