元和卯月本「誓願寺」
== 2-10 誓願寺 ==
{次第}《をしへの道も一声の。〃。御法を四方にひろめむ》、
{ワキ詞}〽是は念佛の行者一遍と申聖にて候。我此度三熊野にまいり。一七日参籠申。証誠殿に通夜申て候へば。あらたに霊夢を蒙りて候。六十萬人決定往生の御札を。あまねく国土にひろめよとの霊夢に任せ。まづ都へと心ざして候、
{道行}《弥陀たのむ、願ひも三の御山を。〃。けふ立いづる旅衣、紀の関守がたつか弓。いで入日かずかさなりて。時もこそあれ春の比。花のみやこに付にけり、〃》、
{ワキ詞}〽急候程に、是はゝや都誓願寺に着て候。告にまかせてふだをひろめばやと思ひ候、
{ワキカヽル}《有難や実仏法のちからとて。貴賎群集のいろ〃に。袖をつらね踵をついで。知もしらぬもをしなべて。念仏三昧の道場に。出入人のありがたさよ、
{女サシ}〽所は名におふ洛陽の。花の衣の今更に。心は空に墨染の、
{ワキ上}〽夕の鐘の聲〃に、称名の御法、
{女}〽鳧鐘の響、
{ワキ}〽聴衆の人音、
{女}〽軒のまつ風、
{ワキ}〽をのれ〃と、
{女}〽かはれ共、
{上歌同}弥陀頼む、心は誰も一声の。〃。うちに生るゝ蓮葉の。濁りにしまぬ心もて何疑ひのあるべき。有難や此をしへもらさぬちかひまのあたり。うけよろこぶや上人の御札をいざやたもたむ、〃》、
{女詞}〽いかに上人に申べき事の候、
{ワキ詞}〽何事にて候ぞ、
{女}〽此御札を見奉れば。六十萬人決定往生とあり。扨〃六十万人より外は往生に漏候べきやらん。返〃も不審にこそ候へ、
{ワキ}〽実よく御不審候ものかな。是は三熊野の御夢想に四句の文あり。その四句の文の上の字をとりて。証文の為に書付たり。唯決定往生南無阿弥陀佛と。此文ばかり御頼み候へ、
{女}〽扨〃四句の文とやらむは。いかなる事にて有や覧。
{カヽル}《ぐちの我らにしめし給へ》、
{ワキ詞}〽いで〃語てきかせ申さむ。六字名号一遍ほう。十界依正一遍体。萬行離念一遍証。人中上々妙好華。此四句の文の上の字なれば。
{カヽル}《六十万人とは書たる也》、
{女詞}〽今こそふしん春のよの。闇をも照す弥陀の教、
{ワキ上}〽《光明遍照十方世界に。もるゝかたなき御法なるを。わづかに六十万人と、人数をいかで定むべき、
{女}〽扨はうれしや心得たり。此御ふだの六十萬人、其人数をばうちすてゝ、
{ワキ}〽決定往生南無阿弥陀仏と。
{女}〽たゞ一筋に念ずならば、
{ワキ}〽それこそ則決定する。
{二人}往生なれや何事も。みなうちすてゝ南無阿弥陀佛と、
{上歌同}唱ふれば、佛も我もなかりけり。〃。南無阿みだ仏の聲ばかり。至誠心深心廻向。発願のかねの声耳にそみて有難や。誠に妙なる此教。十聲ひとこゑ数わかで。悟りをもまよひをもむかへ給ふぞ有がたき。去程に、夕陽雲にうつろひて。西にかげろふ夕月のよるの念佛をいそがむ、夜念仏をいざや急がん、
{上口ンギ地}早更行や夜念佛の。聴衆の眠さまさむと、かねうちならし念仏す、
{上女}〽有難や五障の雲のかゝる身を。たすけ給はゞ此世より。二世安楽の国にはや生れゆかむぞ嬉しき、
{地}〽実安楽の国なれや。安く生るゝ蓮す葉の、臺の縁ぞ誠なる、
{下女}〽有難や。〃、さぞなはじめて弥陀の国。涼しき道ぞたのもしき、
{上地}〽頼ぞ誠此をしへ。あるひは利益無量罪、
{女}〽又は餘経の後の世も、
{地}〽弥陀一教と、
{女}〽聞物を、
{下同}有難や〃。八萬諸聖教、皆是阿弥陀佛なるべし。此御本尊も上人も唯おなじ御誓願寺ぞと。ほとけと上人を一体におがみ申也》、
{女詞}〽如何に上人に申べき事の候、
{ワキ詞}〽何事にて候ぞ、
{女}〽誓願寺とうちたる額をのけ。上人の御手跡にて。六字の名号になして給り候へ、
{ワキ詞}〽是はふしぎなる事を承候物かな。むかしより誓願寺とうちたる額をのけ。六字の名号になすべき事。おもひもよらぬ事にて候、
{女}〽いや是も御本尊の御告とおぼしめせ、
{ワキ}〽そも御本尊の御つげとは。御身は何くにすむ人ぞ、
{女}〽童がすみかはあの石塔にて候、
{ワキ}〽ふしぎやなあの石塔は。和泉式部の御墓とこそ聞つるに。
{カヽル}《御すみかとは不審也》、
{女詞}〽さのみな不審し給ひそよ、
{カヽル}《我も昔は此寺に。値遇のあればすむ水の。春にも秋やかよふらし、
{下同}むすぶいづみのみづからが。名をながさむも恥かしや。よしそれとても上人よ。わが偽りはなき跡に。和泉式部は我ぞとて。石塔のいしの火の、光りと共に失にけり、〃》、
{ワキ詞}〽佛説に任せ誓願寺と打たる額をのけ。六字の名号を書付て。
{カヽル}《仏前にうつし奉れば、
{上歌}ふしぎや異香薫じつゝ。〃。はなふりくだり音楽の聲する事のあらたさよ。是につけても称名の。心ひとつを頼みつゝ。鉦打ならし同音に、
{下ワキ}〽南無阿弥陀佛みだ如来、
{女上後}〽あら有難の額の名号やな。末世の衆生済度のため。佛の御名をあらはして。佛前にうつす有難さよ。我もかりなる夢の世に。和泉式部といはれし身の。仏果をうるや極楽の。歌舞の菩薩と成たるなり。二十五の、
{地}〽菩薩聖衆の御法には。紫雲たなびく夕日影、
{女}〽常の燈。影清く、
{地}〽さながら爰ぞ極楽世界に。生れけるかと有難さよ、
{クリ同}抑當寺誓願寺と申たてまつるは。天智天皇の御願。御本尊は慈悲萬行の大菩薩。春日の明神の御作とかや、
{サシ女}〽神といひ仏といひ。唯是水波の隔なり。
{下同}然れば和光の影ひろく。一躰分身あらはれて衆生済度の御本尊たり、
{女上}〽されば毎日一度は。
{同}西方浄土にかよひ給ひて。来迎引摂の。誓ひをあらはしおはします、
{クセ}笙歌遥に聞ゆ。孤雲のうへなれや。聖衆来迎す、落日の前とかや。昔在霊山の御名は法華一仏。今西方の弥陀如来。慈眼し衆生あらはれて。娑婆しげん観世音。三世利益同一体有難や我らがための悲願也、
{上女}〽若我成佛の。光りをうくるよの人の。
{同}わがちからには行がたき。御法の御舟のみなれさほさゝでもわたる彼岸に。いたり〃て楽を極る国の道なれや。十悪八邪のまよひの雲も空はれ。真如の月の西方も。爰をさる事遠からず。唯心の浄土とは此誓願寺をおがむなり、
{下女}〽歌舞の菩薩もさま〃゛の、
{地}〽仏事をなせる。心かな、
{上女}獨なを。佛の御名を。尋みん、
{上地}〽をの〃帰る法の場人。〃、法のには人の、
{下女}〽実も妙なる称名の数々、
{上地}〽虚空に響くは、
{女}〽音楽のこゑ、
{地}〽異香薫じて、
{下女}〽花ふる雪の、
{同}袖をかへすや返〃も、貴き上人のりやくかなと。菩薩聖衆は面々に。御堂にうてる。六字のがくを。みな一同に礼したまふは、あらたなりける奇瑞かな》