元和卯月本「たつた」

2-15 たつた

{次第}《をしへの道も秋津国。〃、かず有法をおさめむ》、
{ワキ詞}〽是は六十余州に御経をおさむる聖にて候。我このほどは南都に候ひて。霊佛霊社残りなくおがみめぐりて候。又これより龍田越にかゝり。河内国へと急候、
{道行}《ふるき名の、奈良の都を立出て。〃。在明残る雲まの西の大寺をよそにみて。はや暮過しあきしのや。外山の紅葉名に残る。龍田の河に着にけり、〃》、
{ワキ詞}〽急候程に、是ははや龍田川に着て候。此川をわたり明神に参らばやと思ひ候、
{シテ女詞}〽なふ〃御僧。その河なわたり給ひそ、申べき事の候、
{ワキ}〽ふしぎやな此川をわたり。たつたの明神にまいり候處に。何とてその河なわたりそとは承候ぞ、
{女}〽さればこそ神にまいり給ふも。神慮にあはんためならずや。心もなくて此川を渡り給はゞ。
{下}《神と人との中や絶なむ。よく〃あむじてわたり給へ》、
{ワキ詞}〽実今思ひ出したり。龍田川もみぢみだれて流るめり。わたらばにしき中や絶なんとの。
{カヽル}《古歌の心を思へとや》、
{女詞}〽中〃の事此歌は。紅葉の水に散うきて。錦をはれるごとくなれば。わたらばにしきなかや絶なんとなり。是につき猶々ふかき心もあり。もみぢと申は当社の神躰。神のをそれも有べければと。いましめ給ふ心もあり、
{ワキカヽル}〽《実々それはさる事なれども。紅葉の比も時過て。河の面もうす氷にて。立波迄もみえぬ也。ゆるさせ給へ渡りてゆかむ》、
{女詞}〽いや〃猶も御とがあり。氷にも又中絶むとの。其いましめも有物を、
{ワキカヽル}〽《ふしぎや紅葉のにしきならで。氷にも又中絶むとの。いはれは如何成事やらん》、
{女詞}〽紅葉の哥は帝の御製。又其後家隆の哥に、
{下カヽル}《龍田川紅葉をとづるうす氷》。
{詞}わたらばそれも中やたえなんと。
{カヽル}《重てかやうに読たれば。かならず紅葉に限るべからず、
{上歌同}氷にも中たゆる名の龍田河。〃。にしき織掛神無月の。冬川になるまでも。紅葉をとづるうす氷を情なや中絶て。わたらむ人はこゝろなや。さなきだにあやうきは薄氷を踏ことはりのたとへも今にしられたり、〃》、
{ワキ詞}〽御身は如何成人にてわたり候ぞ、
{女}〽是は覡にて候。明神へ御まいり候はゞ御道しるべ申候べし、
{ワキ}〽あらうれしや御供申。宮めぐり申さうずるにて候、
{女}〽是こそ龍田の明神にて御入候へ、よく〃御拝み候へ、
{ワキ}〽ふしぎやな比は霜ふり月なれば。木々の梢も冬かれて。けしきさびしき社頭のみがきに。盛なる紅葉一本みえたり。是は御神木にて候か、
{女}〽さむ候、當国三輪の明神の神木は杉なり。当社は紅色にめで給ふにより。もみぢを御神木とあがめまいらせ候、
{ワキ詞}〽有難や我国〃をめぐり。今日はまた此御神に参る事の有難さよ。
{下}《和光同塵は結縁のはじめ。八相成道は利物の終、
{下歌同}下紅葉、塵にまじはる神こゝろ。和光の影の色そへて、我等をまもり給へや、
{上歌同}殊更に此度は。〃。ぬさとりあへぬおりなるに。心してふけ嵐もみぢをぬさの神こゝろ。神さび心もすみわたる。龍田のみねはほのかにて。河音もなをさえまさる夕ぐれ。いざ宮めぐりはじめんとて。名におふ龍田川。同じかざしの榊葉を。とり〃に乙女子が。もすそをはへて袖をかざし。はこぶあゆみのかず〃に。たびかさなると見る程に。ふしぎやな今迄はたゞ覡とみえつるが。我はまことは此神の。龍田姫は我なりと。名乗もあへず御身より。光をはなちて紅井のそでをうちかづき。社壇の。戸びらを押開き御殿にいらせ給ひけり、〃、
{ワキ上歌}〽神の御前に通夜をして。〃。有つるつげをまたむとて。袖をかたしきふしにけり、〃、
{後シテ上}〽神は非礼を受給はず。水上清しや龍田の川、
{地}〽御殿しきりに鳴動して。きねがつゞみも聲々に、
{女}〽有明の月。ともし火のひかり、
{地}〽和光同塵をのづから光もあけの。玉垣かゝやきてあらたに御神体。あらはれたり、
{上シテ}〽我劫初よりこのかた。此秋津洲に地をしめて。御代をまもりの御矛を守護し。もみぢの色も八葉の葉。即矛のはさき成べし。剣の験僧の法味にひかれて。夜半に神燈あきらか也、
{クリ地}そも〃たきまつりの御神とは即當社の御事なり、
{シテ}〽むかし天祖のみことのり。
{同}すゑあきらか成みくにとかや、
{サシ}〽然れば當国寶山に至り、
{同}あめつちおさまる御世のためし。民安全に豊なるも、偏に当社の御ゆへなり、
{下シテ}〽梢の秋の四方のいろ、
{同}千秋のみかげ。目前たり、
{クセ}としごとに。もみぢ葉ながる龍田川。みなとやあきのとまりなる。山も動せず海邉も浪静にて。楽みのみの秋の色。名こそたつたの山風も静成けり。然ば代々の哥人も、こゝろを染てもみぢ葉の。龍田の山の朝霞。春はもみぢにあらねども。たゞ紅色にめでたまへば。けさよりは龍田の櫻いろぞこき。夕日や花の。しぐれなるらむと。読しもくれな井に心をそめし詠歌なり、
{上シテ}〽神なびの。みむろのきしやくづるらん、
{同}龍田の川の。水はにごるとも和光の影はあきらけき真女の月は猶てるや。龍田河紅葉乱れし跡なれや。いにしへはにしきのみ今は氷のしたもみぢ。あらうつくしや色〃の。紅葉重のうす氷。わたらばもみぢもこほりも。重て中たゆべしやいかで今はわたらむ、
{下シテ}〽去ほどに夜神楽の、
{同}〃。時うつり事去て。きねが鼓もかずいたりて月も霜もしらにきて。ふりあげて聲すむや、
{シテ上}〽謹請、
{地}〽さいはい、
{シテ上}〽久かたの。月もおちくる。瀧まつり、
{地}〽なみの龍田の、
{下シテ}〽神の御前に、
{同}神の御前に。ちるはもみじ葉、
{シテ}〽すなはちかみのぬさ、
{地}〽龍田の山風の時雨ふるをとは、
{下シテ}〽さつ〃の鈴のこゑ、
{地}〽たつや河なみは、
{シテ}〽それぞしらゆふ、
{同}神風松風吹乱れ、〃、もみぢ葉散とぶ夕つけ鳥の。みそぎもぬさも。ひるがへるをみごろも。謹請再拝〃さいはいと、山河草木国土おさまりて、神はあがらせ給ひけり》